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2022年12月13日

和歌山県への旅・・・日本最古の石造り灯台、樫野埼灯台です

和歌山県を旅しています

平成11年9月8日に開通した、串本本土と大島をつなぐ架橋、「くしもと大橋」を渡り、大島へやってきました (ループ橋386m、大橋290m)

目的地は、日本最古の石造り灯台、樫野埼灯台です


エルトゥールル通りを進みます
・・・遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の名前ですね

樫野埼灯台と飛行機雲
この日は、飛行機雲が多く、なんと直角に曲がる飛行機雲を見ることができました
どこの飛行機で、どこへ向かうのかなぁ?
想像するに、自衛隊?USAF?かなぁ?


樫野埼灯台入口です

江戸条約により建てられた日本最古の石造り灯台は今も輝き続けています

樫野崎
樫野埼灯台は日本で最初の洋式石造り灯台です。
岸の古座川周辺にある “宇津木石” が用いられています。
宇津木石は、マグマからできた石の中では比較 的やわらかい石で加工しやすく、この地方では古くから建築用石材として広く利用されてきました。
灯台旧官舎や周囲の石塀にも宇津木石が用いられ ています。


さぁ、灯台に登りましょう
おおぉ・・・飛行機雲共々、絶景です

灯台から西方面を眺めます

灯台入り口の銘板
・・・ILLUMINATED 8 JULY 1870 「1870年7月8日点灯」 明治三年


樫野埼灯台 旧官舎

The Former Kashinosaki Lighthouse keeper's House
灯台守が執務室や住居として使うために建てられたこの官舎 は、 明治3年(1870) に英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラ ントン (Richard Henry Brunton) が日本で最初に竣工させた石造りの歴史的建造物です。
江戸幕府が開国にあたり、 慶応2年(1866) の江戸条約により灯台設置が決められたことに伴い建設されたものであり、首長にブラントンが選ばれ、洋風石造建築として完成しました。 ここはトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件 (1890) の際 救助の拠点となったことでも知られ、 両国の友好にとっても大切な建物です。 2011年3月の修理にあたっては、古い部材 を出来るだけ残して昔の姿に再現され、ドアなどの木部には「木目塗り」と呼ばれる珍しい技法が施されています。
竣工当時は現在の三角屋根ではなく、 四角い箱の形をしていたことが新たに分かりました。
また海に面した側の外壁は、 航行する船舶から見えやすいように、昔のように白く塗り分けられています。


灯台と旧官舎
・・・当日、旧官舎は休館日?でした

眼下みれば、荒々しい岩だらけ・・・
海金剛といわれる和歌山県東牟婁郡串本町にある自然景勝地の一部、吉野熊野国立公園に含まれる



トルコ軍艦遭難慰霊碑
明治23年9月16日 (1890年)、トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため、この慰霊碑眼下の海域に臨む船甲羅岩礁で難破しました。
島民は献身的な救助活動を繰り広げ 69名を救助しましたが、580余名の乗組員の尊い命がうばわれました。 そして、引き揚げられた遺体をこの丘に埋葬しました。 翌明治24年に和歌山県知事をはじめ、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され 併せて追悼祭が行われました。 この碑は昭和4年の昭和天皇の樫野埼行幸を聞いた トルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立 することを決定、 トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日 (1937年)に完成したものです。


トルコ記念館
トルコ記念館は、トルコ国との友好の証として、今後一層、日ト親善の契りを深めると共に、国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的として、建設されたものです


「P」に咲く、「ハイビスカス」
気温が高い? 暑いぐらいでしたね・・・


この樫野埼灯台の見物で和歌山県の旅は終わります

和歌山県、一泊二日の旅・・・
十津川街道を下り、和歌山県へ、熊野三山を巡り、瀞峡、熊野古道大門坂、潮岬灯台、本州最南端、そして日本最古の石造り灯台、樫野埼灯台を訪れてきました
天候に恵まれ、無事予定の行程、目的地を走り、観光してきました
帰途は、和歌山、松原那智勝浦線を進み、阪神高速4号湾岸線、阪神高速11号池田線、中国自動車道を走り我が家へ・・・
全行程、総走行距離は、512km
よく、走りましたね

ちょっと、疲れましたが、写真も沢山撮影でき、まずまずの出来と思います
よき、記念になりました







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