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2022年5月12日

史跡 三ッ塚廃寺跡・・・兵庫県丹波市市島町上田

兵庫県丹波市市島町上田 史跡「三ッ塚廃寺跡」を訪ねます

確か、二度目!
この青空、好天の日、のんびり散策してみます

三ツ塚廃寺と天神窯跡
三ツ塚廃寺は、白鳳時代の終り頃(約1300年前)に建てられた寺院跡です
当時は、仏教 が伝来して間もない頃で、各地の豪族は自らの権力を誇示するために古墳に替わって寺を建てていました
全国各地で白鳳時代から奈良時代(1300~1200年前)にこのような寺が600以上建て られましたが、丹波市内で現在見つかっている白鳳時代の寺跡は、三ツ塚廃寺跡だけです
寺の様子 主要伽藍の規模は、およそ1町四方(約110m)で東西約 116m、南北106mでした
東辺と南辺の各中央には門跡が 見つかったことから、周囲には築地がめぐり、東西南北辺の中 央にそれぞれ門があったと推測されます
さらにその内側には、 中門跡が見つかり回廊がめぐっていた可能性があります
 中央には基壇が3つ並び、瓦積で化粧された東西両端の二つの基壇には塔が、真ん中の基壇に金堂が建てられていました
この伽藍配置は、新治廃寺式といって全国では茨城県の新 治廃寺と兵庫県龍野市の奥村廃寺、そして三ツ塚廃寺の3例し かない珍しいもので、薬師寺式の一変形とも考えられています。
また、寺の周囲には、多くの掘立柱建物が見つかり、住居や 倉庫として使われていました

寺の終焉
寺は、奈良時代の終わり頃にはさびれ、平安時代には建物も火災によって焼失してしまいました
焼け跡には 3つの基壇だけが残り、寺は人々の記憶から消え去りました
この基壇の跡が嫁(古墳)のように見えたことから、 後世「三ツ塚」と呼ばれるようになりました


        下、囲い部分の底に心礎があります


心礎
この心礎は薄手の花崗岩で表面に径89cmの浅い柱座を中心に径深さとも11cmの舎利孔を穿っています
礎石表面はほぼ地山面と同位で心礎は壇上面から1.4m下にあります


今回、この心礎を覗いてみても、ゴミ山積して、残念ながら確認はできませんでした
2016年の時は、ちゃんと撮影できています



白い建物は、三ヶ塚ふれあいセンター愛育館
・・・それにしても、新緑の美しいこと・・・

二千平米の敷地に江戸系、肥後系、伊勢系の花しょうぶ2万本が植えられています

        エエ感じですね

三ケ塚児童公園ぼうけんひろば

      いちじまこども園・・・鯉のぼりが泳いでいました

記事作成時、調べてみました
2016年4月15日に来ています
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/05/blog-post_6.html
もう、6年が経ったのですね
それも、同じ4月に訪れるとは・・・不思議です

今度、昼食時でも弁当を持って、来てみようか!
木陰で、のんびりと昼寝、そんな一時もあってもいいかも・・・
そんな気分にさせてくれる丹波市市島町・・・いいところです!








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