ページ

ページ

2022年5月10日

兵庫県丹波市の神社・・・市島町上田7ー1 天満神社

兵庫県丹波市市島町上田7ー1 天満神社です

市島町の神社を巡って、11社目になります

        
        一ノ鳥居
一ノ鳥居の奥に、境内がみえます


到着です
広いですね・・・
境内は西を正面として上下二段からなり、東の上段 中央に奥から本殿、拝殿がある
下段は中央を広場として、北東隅に神饌所、南側に舞堂がある


案内板
以下、案内板より

天満神社 (吉見庄一宮)
鎮座 丹波市市島町上田字天神七番地の一
祭神一 天満大自在天神(菅原道真公)
右に八柱神社、左に八幡神社を合祀する

境内社
白太夫神社、稲荷神社、熊野神社、愛宕神社、九頭竜神社
須賀神社、金毘羅神社、厳島神社 飛地境內社 神明神社惠比寿神社(市島字西山)
祭礼 一月元旦元旦祭
一月九、十日恵比寿大祭(恵比寿神社)
二月三日節分祭
三月二十五日 春季析念祭
七月二十五日 夏季例祭
十月第二日曜日 秋季大祭(神輿渡御)
十一月二十五日新嘗祭(新殺感謝祭)

沿革 延元三年(一三三八)天滿宮勧請する
天正六年(一五七八)明智光秀の兵火に焼失する
慶長五年(一六〇〇)吉見越中守吉家再建する
元和六年(一六二〇)白太夫、嚴島各神社建立 御神体、道真公木造なる(旧御神体を体内に納める)
寬永十五年(一六三八)千句連歌奉納
寛文七年(一六六八)本殿改修する
元禄六年(一六九三)神池寺信隆太宰府に天神緣起奉納
 上田天満宮にも奉納する 高辻豊長公より道真公御草履を賜る
宝永五年(一七O八)本殿改修する
享保六年(一七二二) 上田村大嘗会献穀祭神祇官和歌
東山院より扇、猿面賜る
享和元年(一八〇一)北野天満宮の御神興譲り受ける
文化三年(一八〇六)公卿获原卿三十六歌仙画奉納する
文政十一年(一八二八)八柱神社在移転合祀する
天保拾年(一八三九) 本殿改修する
明治三十一年(一八九八)社僧和光寺を移転、済納寺とする
明治四十一年(一九〇八) 森坂より八幡神社を移転、合祀する
大正十四年(一九二五)神饑幣帛料共進社となる
式年大祭 三十年毎 次は二〇三七年



手水舎


 本殿
三間社流造 千鳥破風付 向拝一間 向唐破風造 銅板葺 背面下屋庇付 桟瓦葺き
建設年代は、「吉見村誌」に採録された棟札写に宝永五年に再建されたと記されている
大工は黒井住の藤原朝臣藤井氏悠太宗春であると・・・



向拝

主祭神:  菅原道真 
配祀神:高皇産靈神 神皇産靈神 玉積産日神 足産日神 大宮能売神 事代主神 武内宿禰

身舎正面柱間三間のうち、中央間は板扉、両脇間は嵌殺蔀戸である


木鼻

  庇下

 手挟み

左、妻飾り

右、妻飾り 三重虹梁が珍しいと・・・


       左脇障子

       右脇障子



御后三柱
・・・本殿背面に下屋がついている、内部は奥行二間のうち後方の柱間の中ほどに内外陣境を設ける
延喜三年(903)二月二十五日、太宰府で亡くなられた菅原道真卿の大先祖天穂日命、祖父の清公卿、父の是善卿を祭神としてお祀りしています
ご神体の道真卿と背中合わせに祀っているため御后三柱といいます・・・説明板より



伊勢神宮 遙拝所

        白太夫神社

舞堂 
・‥桁行8.7m 梁間3.8m 切妻造 桟瓦葺 19世紀前期


ご神木
左の巨木は「広葉杉」 樹高40mあったが25mに切断 幹周:3.9m
右の巨木は「樅」 樹高35mあったが21mに切断 幹周:3.9m


        狛犬





本殿左横にいてはります
・・・天満神社、菅原道真公と切っても切れない関係の「牛」
菅原道真公が生まれたのは承和十二年六月二十五日 (845) この年が丑年なのですって・・・


社頭より、一ノ鳥居を・・・


規模の大きな神社でした
由緒説明板も詳細に記されていて、大変参考になりました
そして、よく整備されていて、たいへん気持ちよく、参拝できました
よかったです・・・


追記:記事文言の一部は、丹波市歴史的建造物資料より引用いたしました







0 件のコメント:

コメントを投稿