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2022年3月7日

2022年3月・・・大阪城、天守閣です

2022年3月 大阪城公園梅林にやってきました
大阪城を訪れると、撮影するところが多すぎて、撮影枚数が増えます
過去の記事みれば、ほとんど同じ場所、同じ構図で撮影していますね!
何度、訪れても、見所満載、飽きないし、いつも圧倒されます

今回の記事は、大阪城、天守閣だけを集めてみました

梅林から眺める天守閣
・・・東面ですね・・・

北側 極楽橋より、天守閣を目指します

山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。豊臣秀吉が天正十一年(1583)に築城を開始した大阪城でもこの付近に架けられた橋を 極楽橋と呼び、大阪夏の陣による落城後、幕府が再築した時にも架け直された。江戸時代には幅約8m(四間)の木造で 、慶応四年(=明治元年、1868年)に起った明治維新の大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965)に再架橋された。現在の極楽橋は長さ約54m、幅約5.4mで橋脚・主桁を鉄筋コンクリート造りちしつつも、上部は歴史的景観に配慮し 伝統的な擬宝珠高覧としている。
「極楽」とは仏教で説かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土真宗本願寺派の本山 、大阪(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている・・・案内板より引用


山里丸から見上げてパチリです
・・・北面です・・・

逆光も、なんのその!

山里口出枡形
・山里口出枡形
本丸と山里丸を結ぶ通路に設けられた枡形で、徳川幕府が行った大阪城再築工事によって築かれた。外敵に備えるための石組み囲まれた四角い区画を枡形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出ていることから出枡形という。南には本丸に通じる姫門、東には山里丸に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。 なお西は埋門となっていて隠し曲輪と通じている・・・案内板より引用


西面
・・・四つの千鳥破風が美しい、最上階の、軒唐破風が見える・・・

エレベーター塔も、こうしてみれば、なかなかの絵になりますね
 
南面です

        定番、構図です
        見所は、見事な入母屋破風です
重要文化財、桜門
その門を額縁にしてみる天守閣、その下には蛸石も・・・
これも定番の構図ですが、無人でのパチリが難しいです

ここで、観光バスのお客さんが判明しました
・・・小学校の遠足ですね・・・
先生が、「2列縦隊で、歩きなさい」と、大声で叫んでいました

よき光景です
この環境下で、遠足ができるようになったことが、うれしいですね
子供達も、楽しいでしょうね

しばらく眺めていたら、背後から嫁の声が・・・
はよ、行くよ・・・って!

次回は、石垣をまとめましょう・・・








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