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2020年6月17日

中井権次一統の足跡 大原神社、京都府福知山市三和町大原191-1

中井権次一統の足跡を巡っています
国道173号線を走れば、大原神社前を通りますゆえ、素通りはできません
京都府福知山市三和町大原191-1、大原神社を訪ねます


旧三和町のマンフォ-ル
・・・ホタルと網を持って追いかける子どもたち、川には魚が・・・


       社頭

石段を登りきれば、広い境内です


天一位 大原神社

由緒
祭神:伊弉冉尊 天照大神 月弓尊 社伝によると、第五十五代文徳天皇の御世、仁寿二年三月十三日(852年)北桑田郡野々村樫原(現南丹町)の地より遷座、国司大原雅楽頭社殿を造営同年九月二十八日遷座される。
元亀天正(1573年)の頃、明智智日向守領主となる際、戦場に遭遇、社殿消失するも明暦年間(1655~58年)に旧態に服す。現在の社殿は九鬼氏領主として綾部に封せられてより累代の庇護により寛政八年(1796年)再建される。
安政二年(1855年)千年祭り、平成15年千百五十年祭を斎行する。
唐破風の龍の丸彫は天保三年(1831年)の中井権次正貞の作であり、拝殿頭貫の絵模様彫刻、兎毛通の鳳凰、持送りの菊の籠彫は、天保八年正貞の父、久須善兵衛政精中井丈五郎正忠の作である。

茅葺の絵馬殿は文久三年(1863年)の再建で舞台では浄瑠璃、農村歌舞伎等が演じられた。昭和五十九年に本殿等、京都府指定有形文化財の指定となる・・・由緒より一部引用

うん? 
「持送りの菊の籠彫は、天保八年正貞の父、久須善兵衛政精中井丈五郎正忠の作である」
このくだりは、記述がおかしいですね
正貞の父は、中井丈五郎正忠であり、協業者の久須善兵衛政精なので・・・
そして、「天保八年正貞の父」・・・この年号は寛政八年、天保と寛政の記述間違えです

「寛政八年(1796)正貞の父、中井丈五郎正忠と、久須善兵衛政精の合作」と、記するべきでしょうね!


この唐破風の彫刻は少し距離をおいて眺めるべきか? 悩みます・・・贅沢です

迫力満点、龍の丸彫
中備の唐獅子も見事です




拝殿

木鼻

木鼻

蟇股・・・阿吽の龍


持送り・・・菊のかご彫



拝殿、右面

本殿

       摂社 火神神社へ
       ・・・青紅葉がキレイです・・・


京都府指定文化財 摂社火神神社本殿(江戸時代)



京都府指定有形文化財 絵馬殿
文久三年(1863年)の再建で舞台では浄瑠璃、農村歌舞伎等が演じられた


手水舎
・・・コロナの関係で、柄杓はおいてありません・・・

手水鉢
左側面に「天保十二(1841)」と、刻まれている

神橋を渡り、一礼して、帰ります
おそらく、また、丸彫りの龍をみにくるでしょう・・・

この大原神社、一人では、二回目、嫁連れて、一度 参拝しました
安産祈願する年齢ではありません(笑)
国道173号線を通過する際は、素通りはできませんので、参拝回数は増えることでしょう






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