中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集 No 兵庫県丹波市青垣町小倉575-2、佐地神社です
延喜式内社 延喜五年(905年)丹波市内十七社
御祭神:天宇受賣命天津神
心付けを納め、頂いた案内書 裏面には、縁起が記されている
北近畿豊岡自動車道近く 国道427号線沿いです
「Sachi-jinja Shrine」です
佐治とは太古、全面湖沼の佐沼の水を抜き治水し(佐治)、乾いた地(佐地)にしようと祈り、場所をこの地にしたとされる
社頭
縁起 佐地神社(神楽大明神)
御祭神 天宇受賣命天津神
創建
和銅三年(710年)丹波守、坂上田村麻呂の神勅を奉しその子刈田麻呂をして社殿を造営創立したとあり
聖武天皇の御代、五畿七道の諸国に中臣斎部両氏を遣わし、幣を班ちた一社とされる
社格
延喜式内社 延喜五年(905年)丹波市内十七社
旧郷社 明治六年
旧縣社 大正十一年 丹波市内四社
鎮座由緒
神楽大明神、三社二間×三間半 末社多し 北面に御手洗池の泉流あり 神殿前に欄干橋
鳥居あり 境内およそ一町四方余地内に田畑あり
昔神楽谷の大稗、小稗の但馬境の峯に鎮座せり
その古跡を恩ヶ嶽又は天ヶ嶽という峯に仏石とよぶ御神体あり 惣持村の猟師背負い奉りて山より下り大稗小稗の境で休む所を鍵掛小稗口の古木の蔭で休む所を下がり松とよぶ さらに松倉口の田の中の小森で休んだ後小倉に降りしが動いたまわず ゆえにこの所に奉斎して神楽谷九ヶ村の産土神となす
神楽谷九ヶ村は、檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文室、稲土、市原、森
神橋を渡り、拝殿へ・・・
拝殿・・・銅板葺き、唐破風流造
唐破風
兎の毛通し 鳳凰
梁を支える、力士? 牙がみえるが、鬼?
龍
丹波新聞記事によれば、四代中井言次君音の力作とある
社殿
・・・現在の社殿は明和四年(1767)と、ある
右脇障子
木鼻
本殿、背面
左脇障子
木鼻
海老虹梁
・・・見たことがない、海老虹梁、社殿側の根元は獏?が彫られている・・・
はたして、中井言次君音作なのか
?
手挟み
境内社
稲荷神社
左の御神燈には、天保七(1836)と刻まれている
神橋
近くの高源寺の文字が読める・・・これは寄進か?
丹波新聞記事によれば、四代中井言次君音の力作とあるが、如何に?
延喜式内社の古社、訪れること、二度目ですが、身の締まる雰囲気でした
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