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2019年9月26日

中井権次一統の足跡・・・波々伯部神社、 兵庫県篠山市宮ノ前3-2

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集No65 兵庫県篠山市宮ノ前3-2、波々伯部神社です

本殿の彫刻は、八代目 中井権次正胤です
早速、撮っていきましょう……


青銅鳥居(町指定文化財)


       巨木が立ち並ぶ、参道・・・

境内

屋上の鬼面

波々伯部神社の本殿は、ガードが堅く、撮影が難しいです


       かろうじて、右脇障子を、PentaxQ7で・・・

八月四日、五日がお祭りで、八台の山車の宮入りと神輿三基の渡御があるとあります
おそらく、その模型ですね・・・みごとです

手水舎
・・・手水鉢は、元禄五(1692)と、読めます

PentaxQ7 FishEyeで、境内を・・・

       鳥居前の狛犬


丹波篠山五十三次 波波伯部神社 日置一里塚

ご祭神は、もと牛頭天王で、現在は素戔嗚尊である。貞観年間(859~77)の創建とされる。天徳二年(958)に悠基国となった時、八坂神社よりご分霊をうけたというが、承徳二年(1098)、波々伯部村の田堵(自作農民)十三人が二十五町八反余の田地を祇園感神院(八坂神社)に寄進し、荘園・波々伯部保となった際に勧請したとするのが妥当で、丹波の祇園さんである。
土豪の波々伯部一族が深く崇敬し、応永三十四年(1427)と永正十四年(1517)に奉納した薬師三尊懸仏(町・文)が現存する。その後、波多野氏の祈願所となり厚い保護をうけた。氏子は古くより「宮の党八ヵ村」といい、周囲の八ヵ村である。
青銅鳥居(町・文)の横には、篠山城から2番目の「一里塚」があった。旅人たちは神社にお参りして道中の無事を祈ったことだろう
・・・地域情報データベース > 丹波ささやま五十三次より引用











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