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2019年7月22日

波豆八幡神社・・・宝塚市波豆字谷田東掛2

石清水波豆八幡神社を訪ねます
石清水波豆八幡神社本殿は、国指定重要文化財です

撮っていきましょう・・・

拝殿、覆屋内の本殿


石清水波豆八幡神社の由緒
・・・この縁起、前は無かったですね、そして、リーフレットの配布も・・・


天延元年(973年)源満仲の弟・源満政が創建し、京都石清水八絡宮を分祀したと伝えられております
再建:応永十年(1403)・・・棟札により応永十年(1403)と判明する
祭神 誉田別尊
   建御名方命
   建姫宮命



国指定重要文化財 石清水波豆八幡神社本殿

正面柱を三間と三間社造です
屋根は柿葺きで、簡素な妻飾・懸魚・桁隠や、正面の出三ツ斗組み、廻縁など端正な容姿となっています
昇り勾欄に立つ宝珠桂、向拝の柱間に置かれている蟇股は応永以前の古材が保存されています
三間社流造本殿で建立年代が明らかなものとしては最古です


本殿正面



本殿、右側から


清和源氏八幡神信仰の発祥
 神社縁起によりますと、摂津源氏の祖、源満仲公の弟、鎮守府将軍治部輔源満政公が建立したと伝えられてています。満政は兄の満仲と官職を退き、兄満仲は多田の庄に、満政はこの渡豆に隠棲しました。
名を律師満政と改め仏堂修行に精進していまLた
ある時、一人の童子が満政の前に、宝珠を持って現れ神託されるには「この宝殊は護国の珠なり、請う以て垂迹の印と為せ、朕はこれ八幡麿なり」と宣ペられ、宝珠を満鉄に手渡すと忽然と姿は消え去りました
満政は八幡神の出現に愕然とし、その場に鹿跪き、謹んで宝珠をささげ持ちき、謹んで宝珠をききげ持ち、*垂迹の地を拝みました
そしてこの地に宮社を築き、満政手ずから一刀三拝の礼をもってご神影を彫刻し社にお祀りしました
清和源氏の氏神としての八幡神信仰は、その源氏の発祥地、摂津多田の庄、この波豆八幡播神社が「源地」といえます。
伝説にもありますように、八幡神のこの地への*垂迹より源氏一族の八幡信仰が確率されてくるからです・・・配布案内書より引用






境内社
左から、諏訪社、中央:厄塚 厄除け社、右:金比羅社
諏訪社前の石燈籠、文政六(1823)と刻まれている

この石段を降りていきます
・・・手前左の石灯籠は、宝永五?(1708)と刻まれている・・・

兵庫県指定重要文化財 石造鳥居

応永大鳥居 県指定文化財

室町時代、応永三十二年(1425)建立
もとは、旧県道(湖底)に臨み、参道入り口に立っていましたが、水源池築造にあたり現在の場所に移されました
流紋岩製(波豆石)で、様式は、沓石上に円柱を建てた明神鳥居です
中央の高さは約3.7m、柱間上端2.88m、下端2.9m、わずかに下方で開いています
三田市藍本の酒垂神社にある応永二年(1395)の石鳥居は波豆石で構造形式も同じで、県下で最も古いものです。
本鳥居は、それに次ぐ二番面に古いものです


千刈水源地

波豆石造美術群


      三尊種子板碑 県指定重要文化財 嘉歴三年(1328)
        石材は波豆石の自然石。高さ4mの長大なもの



      宝篋印塔 県指定重要文化財 明徳二年(1391)


五輪塔 県指定重要文化財 康永二年(1343)
宝篋印塔 市指定重要文化財


二度目になります・・・一度目は、2015年3月24日でした

NikonZ7での撮影で、この本殿がどのような絵になるのか楽しみでした
ちょっと、露出など失敗でしたね
絞り優先で撮影しましたが、EVFで見る絵で、調整するため、PentaxK1Ⅱのレフファインダーとは、感覚が違います

しかし、重要文化財の応永大鳥居、波豆石造美術群の絵も期待どうりでした
慣れるまで、試行錯誤が続きますね・・・








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