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2019年6月11日

明日香の地を巡っています・・・石舞台古墳です


国営飛鳥歴史公園 石舞台地区・・・・・・奈良県高市郡明日香村島庄254

石舞台古墳は、子供たちの幼い時に連れて来てから、なんど目でしょう?
直近は、2013年10月13日・・・その時は、誰もいない石舞台古墳をゆっくり鑑賞できました

受付
よき石舞台古墳見学日和?です

今日は、沢山の人です
・・・小学校の子供たちの団体です・・・

特別史跡 石舞台古墳  明日香村島庄

この古墳は、封土の上部がなくなり、玄室部の天井石と側壁の上方が露出して、天井石が平たいので、古くから石舞台古墳の名で親しまれている。
古墳は、昭和八年、十年に京都大学と奈良県が共同で発掘調査を行った。
玄室の長さは、約7.6m、幅約3.5m、羨道の長さは約11.5m、幅約2.2mで、玄室底部から羨道中央部を南に通る排水溝がある。
現在、土基部は方形で、外斜面に自然石の貼石がある。
一辺の長さは約55m、その外方の隍の幅は隍底で約6mないし7.6mで、北方の幅は約6.5mである。その外側に上幅約5mの外堤があり、内外斜面にも下方部と同じく貼石をする。
封土は、方形・上円下方形とも考えられているが、現在なおはっきりしないが。巨大な石材を架構した雄大さは、日本古墳の中でも群を抜いた後期古墳である・・・奈良県教育委員会


玄室へ入りましょう

玄室底部から羨道中央部を南に通る排水溝が見えますね


       小学生と一緒に先生の説明を聞かせていただきました


隍の幅は隍底で約6mないし7.6mで、北方の幅は約6.5m

石舞台古墳の復元石棺

この石舞台古墳は昭和8年の発掘調査で30数個の大きな石で築造された大規模な古墳で、6世紀から7世紀初頭のものであることがわかりました。
古墳形状は、上円下方形と推定されます。
被葬者は、古代この地で最大の勢力を誇っていた大豪族の蘇我馬子の桃原墓(日本書紀巻第二十二 推古天皇三十四年 626年「大臣・・・ ・・・桃原墓に葬る」)であるとの説が最も有力視されています。
古墳の規模は、下方形墳(外隍)一辺が85m玄室の長さ7.7mと推定されます。
この発掘調査では、石棺は発見できませんでしたが、石室からは平らに加工した凝灰岩の破片が見つかりました。
このような発掘調査の成果と、飛鳥時代の古墳に施されている石棺の資料を基にして石舞台古墳の石棺を復元いたしました



石舞台古墳の復元石棺で・・・
ある先生は、生徒にちゃんと説明していました
ところが、次の先生は、「あれや!」‥で、終わり・・・パスしていきました
おいおい、それはないやろ‥と、、心の内で叫んでまいました

教育の差を垣間見ました・・・そんな大げさなって

バーチャル飛鳥京体験をいたしました
ゴーグルを着けると・・・石舞台古墳が造られていく様子が映し出され、おおぉ!
すごい知恵です・・・
石舞台古墳が造られていく過程を見入ってしまいました


ベンチに座り、遙か昔を想像しながら、この地眺めるのも、いいもんです





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