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2018年11月21日

山口県萩市への旅・・No17、旧湯川家屋敷・・山口県萩市川島67

秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅しています・・・
・・・水と暮らした城下町・・「萩・藍場川」を訪ねます


萩市指定歴史的景観保存地区、藍場川


この川は、川島から市内を流れて平安古に通じている。
当初は田畑へ水を引く小溝であったが、延享元年(1744)に開削しえ阿武川と新堀川を結んだものである。農業用水路のほか、川舟を通して川上から薪炭などを運ぶのに用いられた。
今も川舟の向きを変えるための舟廻しや、舟が通りやすいように、より高く持ち上げられた石橋がいくつも見られ、昔日の面影を留めている。
川沿いには板囲いの洗い場を造ったり川水を庭の池に引き入れた古い家も多い。
昔は、大溝と言ったが、幕末江向の川端に藍場ができたため、いつのまにか、藍場川と呼ばれるようになった
・・・藍場(藍玉座)・・藍色の染料となる藍玉を製造した所・・・


現在は鯉が放流されています


萩観光ウォーキングマップから・・・桂太郎旧宅、旧湯川家屋敷ががあります




萩市指定文化財(史跡)・・旧湯川家屋敷を訪ねます

旧湯川家屋敷は、藍場川の最上流に位置しています。
川沿いに長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入ります。
主屋には、玄関・座敷と茶室などがあります。茶室回りの意匠は特に優れています。 また、この屋敷では、藍場川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた「ハトバ」で家庭用水として使われた後、再び藍場川に戻っていきます。
このように旧湯川家屋敷では、藍場川沿いの民家として典型的な水の利用法を見ることができ、しかもその技術が優秀です。藍場川の歴史を語る風景として非常に価値が高いといえます。
湯川家の建物は、正確にはいつ建てられたのかわかっていませんが、湯川家の古文書の中に、明治3年(1870)に建物を改築した記録が残っていますので、当初の建物は明治以前に建てられたものと考えられます。
湯川家は禄高23石余の武士で、遅くとも明治の初めにはこの建物に居住していたものと思われます



川から庭を通り、屋敷内へと流れています

台所の「ハトバ」
・・・庭園から流れ出た水は、建物の下をくぐって、台所のハトバに出てきます。ここで野菜や茶碗を洗った水はまた藍場川に還っていきます

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のワンシーン・・・台所の「ハトバ」と思えますね!
NHK大河ドラマ

     外から見た、台所のハトバの水の出口・・・


風呂の「ハトバ」・・・
・・・ここの風呂場のハトバは、外から見ると三角形のでっばりがつき出ていて、雨の日でも濡れずにお風呂の水を汲むことができます



上写真にある額縁の写真と同じように、パチリしてみました

城下町 萩市のマンフォール・・・土塀と夏みかんですね!

台所、風呂の「ハトバ」・・・先人の知恵は素晴らしいです 冬は寒そうですね




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