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2018年8月27日

木積神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府与謝郡与謝野町弓木

中井権次一統の足跡を巡っています
京都府与謝郡与謝野町弓木、木積神社を訪ねます

「延喜式神名帳」木積神社 丹後国 与謝郡鎮座  大正九年神饌幣帛料供進指定の古社です

天橋立から、府道2号線の旧街道で、石田地区公民館の道へと・・
坂道を登ると突き当りに神社が見えてきます・・・


閑静な佇まいですね



延喜式内社 木積神社(旧郷社)

鎮座地:与謝郡岩滝町字弓木小字石田宮ヶ谷
祭神:五十猛神(天照大神の弟、素盞鳴尊の子
大物主神(素盞鳴尊の子、大国主神の別名)

由緒、沿革
当神社は「木積山王宮」とも云われる。創立は平安時代醍醐天皇の御代、延喜二年(902年)の勅により全国各地における崇敬篤き神社を選び「延喜式内社神名帳」が作られ当神社はその中で官幣小社として載せられており、よってその創立はそれ以前と考えられる。しかしその後の罹災等により建築物社記、古文書等を消失したため、その沿革等を詳しく知ることはできないが、現存する古文書「丹後国式内社取調書」「山王宮社再建寄進帳」によると、天明六年丙午八月(1786年)に再建され、その後昭和15年社殿改築がなされ現在の神域となっている。
また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳なれど、慶応四年四月の記録に「山王大神・祭神大物主神」とあり、明治2年6月17日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。
「木積神社」「三輸神社」共に、樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神として、古くから氏子はもとより、歴代藩主を始め広く世人に崇敬されている。

社宝・・・
中務郷有栖川宮殿下御筆「木積山王大神」の神号
狛犬(石造)二体、石灯寵二基、宝筐印塔二基


拝殿

向拝

刻銘探せど、見つからない・・・
丹波新聞、中井一統の技によれば、中井権次橘貞胤の作であると・・・

血走った眼は、初めてみました

木鼻・・眼、鋭いね!

阿吽の獏

手挟み 桁隠し


本殿、拝殿


      本殿

彫刻は、中井権次一統のものではない 
・・・昭和15年に改築とあるので、その時代のものでしょうね?

境内社


       親子杉

    
    社宝の狛犬(石造)二体・・・これかなぁ?





     社宝の宝筐印塔・・・これかなぁ?

    明和元年(1764)と読める




    石造鳥居・・・文久三(1863)と、読める

天橋立から、股のぞき発祥の地とされる大内峠一文字公園をスルーして、木積神社へ
この地域は、宮津市ではなく、京都府与謝郡与謝野町・・・
京都府与謝郡与謝野町へも来ましたが、丹波新聞、中井一統の技のコラムで、知ったのでね・・

まだまだ、中井権次一統の足跡作品集に掲載されていない社寺がありますね・・・
作品集に掲載されているが、行けない社寺も数社ありますが・・・う~ん!











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