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2018年8月5日

二村神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県篠山市味間奥280

中井権次下絵展示会の帰途、中井権次一統の足跡を巡っての原点である文保寺を訪ねました
文保寺を訪れたら、必然的に参拝する、二村神社です

左:文保寺へ 鳥居は、二村神社へ
前回は、2015年3月5日に、参拝しました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2015/03/blog-post.html


二村神社由緒

当社は味間地区七ヵ村の惣社として古来より氏子の崇敬を集めてある。由緒によれば室町時代の文明十四年(1482年)、延喜式内社である見内の二村神社で座争いが起こった際、神宝、神器が周辺の各村に持ち帰られ、味間には御神体が御輿によって運ばれたとされる。御神体はまず西古佐村字イミノ木に仮の社を築いて安置されたが、のちに、味間村字松本に社殿を築きここを永年の鎮座地としたとある。当神社にはその時、御神体を運んだと伝えられている御輿が今も遺され西古佐のイミノ木はこれを契機に神興谷と称される。
二村の社名は、この座争いの神宝分散の経緯により見内の二村神社に則ったものと見られ味間二村神社の歴史はここを発端するのであろう。 当神社の主神は伊弉諾命と伊弉再命である。 明治41年に御霊神社のほか五社が合祀される。 特に記するべきは明暦二年(1656年)に境内地に祀られた波多野秀治の御霊神社である。・・・二村神社由緒案内板より引用

今年、この二村神社の座争いで、それぞれが、神宝、神器を持ち帰り、建立した各地区の二村神社を訪れました・・・ここ、味間の二村神社は、御神体を運んだと伝えられている御輿だったとあります・・・これで、二村神社の座争いで分散された、二村神社は全て参拝したことになりました

写真下:前回撮影した神輿、三基ありましたが、これがその時代のもとはわかりません
しかし、相当古いものでしたが・・・



拝殿

向拝

手挟み、桁隠し

本殿

二村神社祭礼

お! 足元をニュロニョロと・・・アシガラシ?の幼蛇・・・毒蛇です

時刻もPM5:00 神社写真撮影は、厳しい時間です・・・
と、いうことで、枚数少なく、詳細な彫刻も撮影できませんでした・・
11月3日~7日、文保寺創建700年開帳法要の折でも、再度撮影しましょうか




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