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2018年5月26日

竹生島・・・琵琶湖の北部に浮かぶ島

竹生島です
そう、琵琶湖の北部に浮かぶ島です

長年の夢が叶いました・・・必ず訪れたい場所の一つでした
その島には、国宝、唐門、そして、国宝、都久夫須麻神社本殿があります!

そして、絶好の日、快晴です
やってきました・・・琵琶湖汽船、今津港・・・琵琶湖の船旅は別途、備忘録で・・・

乗船です

竹生島  今津港から25分です

竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。全域が滋賀県長浜市の早崎町に属する。
琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている
葛籠尾崎の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大きい島。島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれているのが特徴である。
針葉樹で覆われた中に寺社が点在する風景の美しさで古来知られ、琵琶湖八景(1950)に「深緑 竹生島の沈影」として撰ばれている。
島周辺の湖底は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。最後部附近には三等三角点(基準点名 竹生島、標高 197.27)が置かれている・・・Wikipediaより引用


港が見えてきました

上陸です  
おや! あれは? もしかしたら、唐門、修復中? わぉ! 知りませんでした

港から、土産物屋さんが並んでいますね・・・うん? ポストがあるぞ!

             参拝券 一人400円
             石段は160段と・・・
             
      おおぉ! 急坂ですね しっかり手すりを持たないと・・・


 着きました  宝厳寺、手水舎です

手水舎の側には・・・重要文化財、宝厳寺五重塔

比叡山中から採掘される小松石によりつくられた石造りの五重の塔。初層には四方に仏を配し各屋根は反りを持ち鎌倉時代の特徴がみられます。重要文化財指定は全国に7基しかなく、これは、その1基です。
五層の仏塔。地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれています。
高さ247cm。初重塔身には四仏が彫られています。
初重以上の屋根はその上層軸部と一石彫成となり、上に相輪あげたての形式は鎌倉中期の石塔の特徴を示しています。



宝厳寺、本堂
真言宗豊山派の寺院。山号を巌金山と称する。西国三十三所観音霊場の第30番札所である。

観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、本尊の大弁才天は、江の島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」のーつで、その中で最も古い弁才天です。そのため当山のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。開山時(724年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。本堂は、昭和17年に再建され、現在の本尊の弁才天像を安置しています


             三重塔

文明十九年(1487)に宮大工・阿部権守が建立。江戸時代初期に落雷で消失しましたが、図面を発見し、平成12年に約350年振りに再建しました。古来の工法に基づいて建築し、四木柱に32体の天部の神々を描き、四方の壁に真言宗の八人の高祖を配しています。

三重塔前よりの眺望・・


普請奉行であった片桐且元が来島の際に手植えした「モチの木」 樹齢四百年とある

彦根港からの「井伊直政 赤備え」の船  彦根港からは、40分かかる

国宝、唐門、観音堂・・・修復工事の覆い屋です

             国宝唐門


この「唐門」は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。
移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の「唐門」の代表的遺構です。


本来なら、この姿を拝見できたのですが・・・
琵琶湖観光情報より

             唐門の扉を飾る「牡丹唐草」です



TVで知った、唐門の千社札・・・許しがたい光景です  国宝ですぞ!


修復が終わった部分・・・美しい  千社札も剥がされています


木鼻



天井も完成です・・・見上げたまま、横で撮影してしまいした



重要文化財、舟廊下

この廊下は、観音堂移築と同時に掛けられ、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用しています。
急斜面に掛けられたためその足元は、高い舞台構造(懸造)となっています。
これも唐門・観音堂と同時期に桃山様式で作られたものです

この舟廊下も、千社札が剥がされていますが、糊の痕が痛々しいです
・・・文化財を大事にしようよね!・・・ 

都久夫須麻神社側から

    高い舞台構造(懸造)と、連子窓




国宝、都久夫須麻神社本殿



本殿は、桁行五間梁間四間の入母屋造の檜皮葺、前後に軒唐破風をつけ、周囲に庇をめぐらした建造物です
永禄十年(1567年)に建てられた旧本殿の外廻りを残して、背面を一間通り拡張して、慶長七年(1602)の豊臣秀頼よる復興の際に、元の本殿の外回りに京都から移した建物を入れ込んだ特殊な構造です
両開き桟唐戸、壁、内法長押上には、菊や牡丹などの極彩色の彫刻が施されています
内部の柱・長押等は梨子地で蒔絵が施されています
折上格天井は、菊・松・梅・桜・桃・楓等の金地著色画で、襖の草花図とともに桃山時代後期の日本画壇中心であった狩野光信の筆と伝えられています


実に美しい・・・社殿全体が彫刻で埋め尽くされています

             見事です

八大竜王拝所

願い事し、瓦を投げて鳥居の下をくぐれば、願い事がかなうと・・・夥しい瓦の枚数です
・・・船は恐らく、長浜港からでしょう・・・

明星跡
宝亀五年讃岐の国に生をお受けになった弘法大師は延歴十三年唐に渡られ帰国後大同二年仲春に竹生島神社に参拝されこの所に庵を建て修行されました
この庵を明星跡とし聖地としております



迎えの船が着きました・・・

竹生島、滞在時間75分・・・
念願が叶いましたが、国宝、唐門は修復中で、全容は拝見出来ませんでした

唐門、観音堂、渡廊(舟廊下)における屋根葺替え彩色・漆塗の塗り直し、飾り金具の金箔押し直しを主とした保全修理、6年間かけて修復中で完成は平成30年度中とのことでした

機会があれば、化粧治しした後の唐門を見にきますか!
楽しみですね・・・

そうそう、この島の関係者(寺院、土産物屋さん)は全員、通いです
ということは、夜は無人島なのです・・・

で、最後に・・・なぜ、豊国廟に建っていた「極楽門」が竹生島に移築されたのか? という疑問が湧きました

色々ググってみると、徳川家康の策略が見えてくる時代背景・・・
面白そうなので、じっくり、調べましょうね






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