ページ

ページ

2018年5月18日

式内 石部神社・・・滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6222

安土城跡を訪ねています

国指定重要文化財、摠見寺、二王門から、百々口橋へ下りてきました
登山が有料になってから、百々口橋からのは登山は禁止とのこと、パンフでは下りてくる順路となっていますが・・・しかし、石段は荒れていますね!

写真:上が二王門方面、右へ行けば、受付方面、この左下が石部神社

ふと、右手みれば、「式内 石部神社」の石標と鳥居が・・・これは、参拝しなければ!


正面、社頭です


由緒
文字、判読不可・・しかし、先人が・・・引用させていただきます

祭神:少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命
社記には石部神社天神高宮と有りて人皇第12代景行天皇21年4月15日吾地山に社殿を造営し勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同2年更に勅使参向の栄に浴す。安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。
人皇第60代醍醐天皇延長3年延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。当社は人皇第46代孝謙天皇御宇左大臣橘諸兄右大臣藤原豊成及び大納言平時忠郷等の崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。
降りて天正4年織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。
当社に国宝、厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳2年10月の銘あり、平安時代の彫刻なり)明治44年8月国指定。京都国立博物館に出陳す。・・・社頭掲示板


絵馬殿? 舞殿?
いや、神社庁によれば、拝殿・・入母屋造 間口三間三尺 奥行二間三尺

本殿・・・一間社流造 間口一間一尺 奥行一間

祭神:少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命


             怒っているような顔の狛犬君です


安土城跡百々口橋

安土城跡百々口橋の側にあり、由緒では・・天正四年織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし祭祀を厳修せり・・とある
式内、石部神社・・・偶然でしたが、参拝できてよかったです










0 件のコメント:

コメントを投稿