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2018年4月17日

有子山稲荷神社・・兵庫県豊岡市出石町内町39

兵庫県豊岡市出石町、出石城跡を訪れています

前回は、出石城跡北東に位置する諸杉神社を参拝いたしまた
その右手に、稲荷神社への参道があります・・・


ここは、お城坂(稲荷参道)
江戸時代、最上段の有子山稲荷神社への参道であった
明治期に157段の石段と、37基の鳥居が整備された
春は若葉、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季折々の表情を見せる


千本鳥居と同じように、海外の観光客に人気があるのかなぁ?
・・・石段、157段を上がります・・・

有子山稲荷神社、社頭です

有子山稲荷神社は稲荷曲輪にあり、城内の最上段に位置する。ここに建つ有子山稲荷神社は、小出吉英が城内鎮護のため 有子山城の稲荷社を移したものとも、旧領岸和田の稲荷社の分霊を歓請したものといわれる(現在の社殿は江戸後期に建設)


主祭神:保食神
由 緒 :天正年間(1573~1591)当国の守護山名氏居城を此隅山より有子山に移すに及び鎮守として勧請せし社にして元和年間(1615~1624)出石城主小出吉英古城を山麓に移す之時、本社を山麓城の上に移して依然鎮守と崇めたり。
その後、仙石政明在城以来一層の崇敬を加え歳首及び江戸表に参勤の節は、必ず自ら参拝し仙石政辰の時、寛保二年(1742)を以て社殿を改造す。  
文化二年(1805)拝殿を再興し、昭和三年(1928)11月村社に列せらる・・・神社庁より引用

稲荷曲輪・・・城内の最上段に位置する
・・・井戸があるね・・・

有子山稲荷神社の手水舎の左手には、有子山城跡への登山道があります
国指定文化財・・・山名氏城跡(有子山城跡)

有子山城・・・
有子山城は、1574年(天正2)、但馬守護山名祐豊が有子山山頂(標高321m)に築いた東西約740m、南北約780mもある 大城郭である
山名時代は土の城だった有子山城だが、1580年(天正八)に羽柴秀吉により落城した後、城主となった羽柴秀長により 石垣の城へ改築される(野面積)
以後、1615年(元和元)に一国一城令により廃城となるまで使用されたようである
この有子山城の石垣は、築城の名手、藤堂高虎が最初に手がけたものと近年、明らかになったらしい・・・

稲荷神社の登山口から、1時間を要すると、案内板に記されているよ!
ちと、無理やね!  
下から、頂上展望台?が見えますから、それを見て諦めましょう・・




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