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2017年11月7日

阿須々伎神社・・・文化財を巡って・・京都府綾部市金河内町奥地31

京都府綾部市の文化財を巡っています

京都府指定文化財である、京都府綾部市金河内町奥地31、阿須々伎神社を訪ねます
府道490号線を東へ走り、志賀地公民館の前を左折するのですが・・・
その進入路の脇に、案内板が・・・途中にも、志賀の七不思議という案内板がありましたね!
・・・じっくり読ませていただきました・・・

[志賀の七不思議と「茗荷さん」の縁起]

その縁起 ・・・
今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。
すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。  
親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  阿須須伎神社=金宮大明神の「茗荷さん」  毎年旧暦の正月三日になると、日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」から茗荷が3本出るのです。
 これを神前に供え、その茗荷の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占い、またその年の作物の出来具合い、風水害、かんばつまでも占います。  
この神事は、今も新暦の2月3日に「茗荷祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「ミョウガさん」として親しまれています。  
参拝者には、この占いの写し(お宝付きの写し)と魔除けの矢、甘酒、お餅などがふるまわれます。  是非一度お詣りください。 
・・・・志賀郷公民館  案内板より引用


参道です・・
参道の入口、右にある、案内板・・・

祭神:天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 道主尊命
 本社は、吾雀宮又は、金宮大明神といわれ、明治十二年式内社にある阿須々伎神社の社号を認可された
志賀の七不思議の一つで、節分の日、「茗荷」占いをして、稲作の豊凶を神意に問う神事が伝わっている
昔は丹後方面から沢山参拝者があった
又、10月17日の大祭には、氏子中より選ばれた射手による金的を撃つ弓の行事や、太刀振り、風流踊り、狂言などの郷土芸能が奉納される
 本社の後背の高い山は、金ケ峯と呼び、古代郷土人の信仰した霊山で、阿須須伎神社と共に原始信仰の古い形を伝えている・・・案内板より引用

参道を進んでくると・・・いきなり、巨木が・・社頭です・・・左側に「P」があります
両部鳥居ですね
参道、左へ曲がります・・・二ノ鳥居か?
うん? ああぁ・・(^^;) 
・・倒木か、枝が折れたか? 覆屋に被さっているぞ・・・台風21号や!! 本殿は無事か?
拝殿・・

京都府登録文化財・・阿須々伎神社本殿(江戸時代)
・・・そして、文化財環境保全地区 神社の森一帯・・・
本殿・・・無事のようです・・
・・・覆屋の屋根は奥が破損しているようで、光が見えます・・・
千木、鰹木、屋根も大丈夫のようです・・・(^_^;)

一間社流造・杮葺
本殿は享保六年(1721)に再建された大型の建物で、八尺余の間口がある。全体の構成に古めかしさはあるものの、比較的すっきりとした建物で、西方村と坊河内村の大工の名がみられる。
桃山時代にも見える蟇股・木鼻・大瓶束の繰形や渦絵様などは、当地域では少し下る構成である。
建立後の文化二年(1805)に本殿の屋根葺替と向拝部の修造を行ったことが棟札からわかる。
欄間の龍の彫物はこのとき付けられたらしい・・・綾部市資料館から引用

倒木の様子・・・右下の府登録文化財の大川神社本殿は、難を逃れましたね・・(*^_^*)

府登録文化財・・・阿須々伎神社摂社大川神社本殿 
・・・江戸時代、元禄十四年(1701)  一間社流造・板葺 長板葺屋根

やや小さな流造で、屋根が厚い長板葺である点に特徴がある。直線的な鋭い屋根の形が古めかしい。
棟札には大工として福知山住人半兵衛宗次を始め、屋河内や坊河内の大工の名が記されている。
文化二年(1805)に縁回りの修理等が行われたことが縁板裏の墨書銘からわかる。
蟇股・木鼻・大瓶束の繰形や渦絵様などは古様を示している。・・・綾部市資料館から引用





阿須須伎神社大弓神事・・・

阿須須伎神社大弓神事
・・・大弓神事は阿須須伎神社大祭で奉納祭礼のうち最も主要 なものとして、遠く室町時代の後半から行われたと伝えられる。
毎年の大祭(十月十日)の早朝に氏子の中から選ばれた射手十二人が、神事服を着用して神事舎に着座し、素裸装束の師範ととも に射礼を行いその矢通し終れば射手三人づつ交互に四度立射し、十五間へだてた垜にかかる尺二的に百射を行う。
続いて四寸の金的に奉射し、的中した第一矢をもって射上げとなり、 両的を神前に奉献し、射手全員正殿に正対して礼拝を行う中 で師範は大弓神事完了の賀詞を奏上する。
奉射は往時の典礼により、端正優雅な動作をもって終始し、専ら 自責内省心・技・体一致の全人格を傾注し、唯々神明の照覧に応 えることを心に念じて奉射される。
社頭の清浄の気ただよう中に勧められる厳粛な、古来変らぬ 伝統のあるこの神事を、参拝者は襟を正して見守り、神威 高揚あまねく輝やき渡る思がする。
大弓神事が終れば、始めて大祭儀執行する慣例は、古来から 今に伝承されるもので、大弓神事の終るのを待ち構えていた氏子は、 供揃いして四百米の練込みをし、神殿の儀、続いて振り物・能・能狂言・ 花の踊り等の芸能が少年や青年たちによって奉納される。
このように多彩な祭礼、殊に大弓神事が奉納される 神社は他にその例がほとんどなく、極めて貴重な伝統のある祭礼として今後一層の振興につとめたい・・・案内板より引用

拝殿、左側にある、十五間へだてた「あづち」・・(弓の的を設置)・・・拝殿、左側にある


社務所?


阿須々伎神社文化財環境保全地区 神社の森一帯



境内から左手に降りる階段があり、降りていくと、「御茗荷田」があります

冒頭に記した、志賀の七不思議と「茗荷さん」の縁起の場所ですね・・・
・・・毎年旧暦の正月三日になると、日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」から茗荷が3本出るのです・・・
その茗荷の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占い、またその年の作物の出来具合い、風水害、かんばつまでも占う・・と!


台風21号の被害・・・倒木で、本殿覆屋を直撃・・・
府指定文化財の本殿、大川神社本殿に、被害がなく、なによりでした・・・

志賀の七不思議と「茗荷さん」の縁起、そして、室町時代後半から行われたと伝えられる、大弓神事!!

へぇ~!・・と、感心しかりで~す! 伝統継承を・・・m(_ _)m

今回は、ちと、力を入れ、長文になりました・・・(*^_^*)








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