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2017年10月3日

隆国寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・豊岡市日高町荒川22

中井権次一統の足跡を巡って・・・豊岡市日高町荒川22、隆国寺を参拝します

曹洞宗、布金山長者峰 隆国寺・・但馬ぼたん寺

総門・・・
・・・本来なら、ここで、無人なれど、入山料を納めるのだが、小銭が無い・・・では、受付へ・・

「P」に立つ、案内板、豊岡市教育委員会

隆国寺・・・
隆国寺は、室町時代(14~15世紀)に垣屋隆国の菩提寺として創建された曹洞宗の寺院である
垣屋氏は、当時但馬を治めていた守護大名・山名氏の家臣の中でも四天王と呼ばれる重臣であり、この地の領主でもあった
隆国寺はもともと阿瀬金山(日高町羽尻)にあったが、元和元年(1623)に大光院、西方院を併せて現在地に移った
その後、寺は火災に遭うものの、寛政四年(1792)から文化三年(1806)の間に再建された
平成元年(1989)には、本堂の屋根が寄棟茅葺から入母屋銅板葺へと改修されている
建物は本堂を中心に庫院(厨房)・僧堂・東司(お手洗い)・鐘楼堂・山門・総門が互いに回廊で結ばれていて、特に山門は 三たん(但馬・丹後・丹波)随一と称され、江戸時代の寺院建築として価値が高い・・境内には、牡丹をはじめとする四季折々の花々が咲きほこり、花の寺として親しまれている
・・・案内板より引用


総門においてあった、境内の図・・・

山門・・・
三たん(但馬・丹後・丹波)随一と称され、江戸時代の寺院建築として価値が高いと・・・

逆蓮の柱・・・禅宗様高欄ですね!

中井権次一作品集では、彫刻は中井丈五郎正忠か? とある
木鼻、持送り・・見事ですね!



受付にて、入山料を納め、パンフと、鳥枢沙魔明王のお守りをいただきました・・
そして、受付にて、最初に本堂へお入りいただき、順にと・・・

おおぉ、本堂に・・これはこれは・・・(*^_^*)

本堂・・
本堂内の木鼻、持送り・・
中井権次一作品集では、彫刻は中井丈五郎正忠か? 再調査とある・・・
間違いないでしょう・・・中井権次一統の足跡ですね

見事な螺鈿か、蒔絵が施された・・見事な籠ですね・・
内陣、欄間には、彫刻が見えますが、暗くてよく分かりませんでした
これ以上は、いかに自由に本堂を拝観できようと、逆に遠慮してしまい、写真は遠慮しました・・・


順路どうりに、西苑・・・

鐘楼・・・
・・・誰が突くのか、鐘がなっています・・・うん?  
多分、受付を済ますと、SW、ON・・・自動鐘つき機が動作するようです・・・粋な計らいです

そして、回廊を回り、山門へ・・・階段があります・・・土足厳禁とあります
と、いうことは、立ち入り禁止ではない・・・と、いうことは、拝観できるということですね!
では、めちゃ、階段、急ですが、しっかり、手すりを握りしめ、上りました・・・

そこには、仏像群が・・・基本、仏様は撮影はしませんので・・・


で、階段の途中で、ふと、横見れば・・・おおぉ、彫刻が! 唐獅子か?
奥見れば、龍が梁に横たわっています・・・



豊岡市指定文化財 隆国寺石垣

寛政四年(1792)~文化三年(1806)の寺の再建に伴って造られた石垣である
高いところで、1.7mにも及ぶ石垣は、寺の周囲に巡らされ、城を思わせる
神鍋溶岩の蒸し石を巧みに組み合わせている・・・案内板より引用
隆国寺の「P」より・・右側の石垣を・・・
よき、寺院でした・・・参拝者に開放されている場所がほとんどで、初めて、山門の上、二階へ上がることができました・・
仏様には、天井が低いため、階段上部で、手を合わせてまいりました・・・m(_ _)m

そして、山門の彫刻が、中井丈五郎正忠か? と、判明してないようですが、本堂の木鼻、持送りを、撮影できました・・・

そして、自動で突く、鐘の音色・・・粋な計らいです・・・
いやいや、よき時を過ごしました・・・勿論、参拝者は、私、一人でしたが・・・ 


通称「ボタン寺」として親しまれている隆国寺には、4月下旬~5月上旬頃、約70種類1000株のボタンが華やかに咲き誇ります・・・ぜひ、その時期に再訪したいものです・・・

浄土寺が、九代、中井権次貞胤、神門神社が、六代、中井権次正貞 そして、隆国寺が五代、中井丈五郎正忠・・・
この三カ所が、県道268号線、
距離にして、621mの間に並んでいるのです・・・いや、驚きです








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