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2017年9月16日

八坂神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県豊岡市日高町水上


中井権次一統の足跡を巡ってます
豊岡市日高町水上37-2 八坂神社です

前回の売布神社より、僅か、民家の間のほんと、車幅狭い道を、ユッタリ探しながら、八坂神社へ向かいます
八坂神社の巨大な、石標が・・・しかし、ここは「P」は不可、申し訳ないが、参道?農道?へ乗り入れました・・・m(_ _)m


畑に向こうの巨木の手前に、鳥居が見えます・・・この畑の道を歩きます

鳥居です

手水舎があり、奥に社殿が見えました

本殿です


主祭神: 速須佐之男命
配祀神: 奇稲田姫命                     

由 緒
創立年月不詳
牛頭天王と称し寿永年間高田次郎当社を信仰す。寛文年間(1661~1672)領主小出縫殿は国役前野仁左衛門を名代として幣物を捧げしめたり。
寛政7年(1795)本殿を再建し、文化6年(1809)村の火災によりて古記録を焼失す。
安政5年(1858)領主長男小出辰太郎額一面を奉納し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。
同37年(1904)本殿を上棟し大正7年(1918)同殿の向拝を新築す。同14年(1925)本殿を造営す。・・・神社庁より







刻銘・・・「丹波國氷上郡柏原町居住 彫刻師 八代目 中井権次橘正胤 七十二翁作」
・・・と、ある 七十二翁作と、刻まれているのは、初めて見ました

  左、脇障子

    右、脇障子

蟇股が落ちたのか、破損してなくて、良かったですが、無造作に置かれていた・・・悲しいね!
でも、間近で、しげしげと拝見でき、ちょっと、虎の頭を撫でさせていただきました・・・(*^_^*)


石段から見た、鳥居、畑の様子・・・あの石標がなければ、探し回るところだったかもね!


刻銘・・・「丹波國氷上郡柏原町居住 彫刻師 八代目 中井権次橘正胤 七十二翁作」
・・・1854~1928であることから、没は七十四歳・・・と、すると七十二歳、晩年の力作ですよね
先日の十一代目の教えのとうり、心して、拝見いたしました・・・m(_ _)m


名称 八坂神社のシラカシ
名称の典拠 「但馬の巨木百選」
樹種 シラカシ:樹高 25m :目通り幹囲 5.5m :推定樹齢 200年

兵庫県内では最も大きなシラカシであると・・・




番外編・・・帰途、発見した、水上代官所跡

石標の裏に詳細らしき文字が刻まれているのだが、判読が難しい・・・で、ググってみると・・

寛延2年(1749年)より水上小出家の陣屋になった。 水上小出家は寛文6年(1666年)小出英勝が気多郡内に一千石を分知され旗本となったことに始まる。
陣屋は当初山本村に置かれていたが、寛延2年(1749年)より水上村の三木家が代官を務め、三木家宅が代官所となった。
水上陣屋は日高東中学校の南側にある水上公民館の所に築かれていた。 南と東側に石垣が残り、南東隅にはスロープが付いてその上に水上代官所跡の石碑が建っている。ここの入口には昭和の終わり頃まで陣屋門が残っていたが崩壊した・・・と、ある!










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