西宮ゑびす・・・「ゑべぇっさん」!!で~す・・・
私にとっては、大変、懐かしい、思い出の神社でもあります・・・
さぁ、表大門をくぐって、境内に・・・参ります
国指定重要文化財、西宮神社表大門・・・
|
この門は、東側練塀の南よりにあり、旧街道に向かって東面して建つ
全体が赤く丹塗りされていることから「赤門」の名でしたしまれてきた
豊臣秀頼公の寄進と伝えられる
門は二本の円柱を本柱、4本の角柱を控柱とする「四脚門」である
全体の構造は、それぞれの柱を貫材及び虹梁を用いてつなぐ簡素なつくりで、細部に雲紋などで飾る
典型的な「四脚門」の構造を採用しているが、その豪壮な姿には桃山時代の影響を見てとれる
細部の手法や文様の繊細なところがあることから、建立は慶長期(1596-1615)であろうか! |
本えびすの際、福男、一番を目指して、一斉に走り出す場所でもあります・・・あの場所です!
国指定重要文化財、西宮神社大練塀・・・
|
神社境内の東と南を限る、総延長247mの長大な築地塀である
版築技法を用いてつきあげた築地を62基連ね、練塀本体としている
建立の年代は明確ではないが、築土から見つかった銅銭からおよそその築成年代を推定できる、室町時代であろうか
本練塀に蓮華王院の太閤塀(京都市)と熱田神宮の信長塀(名古屋市)を加え「三練塀」といわれる
また、本例は現在最古の築地塀であるとともに、その堅牢さにおいて、他に類をみない
阪神淡路大震災により被災したが、旧来の技法を用いて忠実に再現された |
大門より、左、南側・・・
大門より、右、北側・・・
おおぉ・・・懐かしいで~す!!
・・・十日えびすの祭、私が来ていた時は・・右には、警備控テントが、左には、前年の笹を、納札所がありましたね
よく、手入れされていますね・・・第一コーナー・・(*^_^*)
おおぉ・・記憶にない、新?祈祷受付所・・・ここに、鳥居、あったかなぁ?
手水舎・・・
由緒・・・
|
御祭神:
第一殿 西宮大神(ゑびす様)
第二殿 天照大神 大国主大神
第三殿 素佐之男大神
ゑびす様の総本社である西宮神社は西宮のほぼ中央に鎮座し平安時代末期にはすでに高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族神衹
伯の参拝が著しく社勢きわめて盛大であった
とくに中世以後福の神と崇める信仰がが盛んとなり傀儡師の活動や謡曲や狂言を通じて愈々御神徳が拡
とりわけ徳川時代以後商業の発展に伴い海上守護神商売繁盛の神として普く御神徳が発揚し今日では全国津々浦々にわたって多くの崇敬を受けている
|
本殿は三連春日造と称し、神社建築の中で特異な構造をもつ、元国宝建造物、戦災のため昭和三十六年復元した
表大門(赤門)は豊臣秀頼公の寄進と伝えられ桃山時代の建築遺構を現存しその左右に連なる大練塀とともに国指定重要文化財である
境内の社叢は、兵庫県指定天然記念物となっている
古来銘酒の産地として名高い西宮市はかって当社の門前町として発展したものである
昔も今も、変わりませんね・・・第三コーナ・・あとは本殿へ駆け込むのみです!
本日も、参拝者の方々が、多数こられていました・・・
社殿を、こんなにシゲシゲと、眺めたことはありません・・(*_*;
本殿・・・
・・・十日えびすの際は、本殿前まで、入れます・・・
・・・巨大な賽銭箱がおいてあり、なかなか、最前列まで、すすめません・・・
この左手に、必ず、大マグロが奉納されていましたね・・・・
三連春日造と称し、神社建築の中で特異な構造をもつ元国宝建造物
登録有形文化財・・瑞寶橋
|
瑞寶橋
境内中央に配された神池に架かり、拝殿正面に位置する石造りの太鼓橋で、六甲山産の花崗岩が用いられている
円弧状の桁石の上を十七等分して敷石を割り付け、青銅製の欄干を備えた丁寧な造り
白鷹酒造の初代辰馬悦叟氏により明治四十年に奉納された
更に完全を期すべく、令孫悦蔵氏が大正十一年改修
橋長5.5m、幅員2.5m 国土と神社の歴史的景観に寄与している基準から平成25年、国に登録有形文化財に登録された |
こんな姿の狛犬だったのですね
さぁ、戻ります・・・この左手に行くと、東門・・・この両脇に露店が、ずらっと、並びます・・・
・・・東門の右、その側で、猿回しの曲芸が! ガマの油売りがいましたね・・・
南門・・・
南門の左・・西側の大練塀
南門の右・・東側の大練塀
右側は、国道43号線・・・
東門・・・そう、住所は「社家町 1」・・・なのです
阪神淡路大震災で被災した大練塀です・・・古来の版築工法により築き直しました・・と!
常夜燈形道標・・・
|
この道標は花崗岩製で、もとは西宮神社の南東、道向かいに建っていた
軸部各面には、街道の行き先、建立年月日、世話人の名前がそれぞれきされている
江戸時代の西宮町は、幕府指定の宿駅になり、京都と西宮を結ぶ山崎道(西国街道)と大阪と西国を結ぶ中国街道が通る
交通の要街であった
ここに記された世話人は、寛政十一年(1799)に選出された宿駅業務をおこなう差添役で、両人とも浜方の十人である
酒造業で経済的に発展していった浜方が、町方の自治に影響をおよぼすようになったことを物語っている
|
十数年ぶりに、ちょっと、歩いてみます・・・
・・・神社より、一筋、東へ入った通り・・・北へ、突き当たりは、阪神西宮駅・・・
街並もキレイになったように思います・・・
・・懐かしいです・・
実は、この付近といっても、2kmぐらいの処に中学1年から大学2年まで、住んでいましたから、毎年、宵えびす、本えびす、残り福・・・と、遊びにきていました・・・
それから、数十年・・・毎年、本えびすの際には、「福笹」を求めて、参拝していましたね・・・
色々と、あって、この十数年・・・参拝できませんでした・・・
と、いうことで、ホント、懐かしい、思い出深い、西宮神社、ゑびすさんです・・・
まぁ、人生、色々ありますから…でも、また、「ゑびすさん」に、参拝できて、良かったです…(*^^*)
0 件のコメント:
コメントを投稿