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2017年6月6日

石谷家住宅・・国指定重要文化財・・鳥取県八頭郡智頭町


鳥取県八頭郡智頭町・・・国指定重要文化財、石谷家住宅・・やっと、訪ねられる時がきました!
何年も前から、訪ねてみたいと、思っていました・・・出かけようと思っても、簡単に訪れられる距離ではないし、以前は、鳥取からの帰路に立ち寄ろうとしましたが、あいにく、休館日でした!

そんなこともありました・・本日は天候も最高・・・朝、思いつきで、走ることに・・・(*^_^*)

因幡街道・・・

入館券より正面全景を・・・



石谷家は、広く地主・山林経営をしてきた家である

石谷伝四郎(1866~1923)の代では、政治家と して明治28年から大正12年まで国政に携わったが、智頭の自邸を大正8年から約10年かけて改築させ た、大規模な木造家屋が「石谷家住宅」である。
以前は主屋が往来に面した町家造りであったと伝えら れているが大正8年の構想によって主屋は奥の方に立て替えられ、江戸時代から存在した古屋敷や蔵を 廊下で接続し、塀で大きく取り囲む武家屋敷風の構えとなった。
敷地3000坪部屋数40余りと7棟の土蔵を有する大規模な邸宅は、諏訪神社と杉 山を背景としている。

約400坪の庭園は平成20年3月、国登録名勝地「石谷氏庭園」平成22年1月県指定 名勝地に指定。
平成21年12月「石谷家住宅」が国の重要文化財に指定。
また、石谷家には当時の建築図面 や文書が多く残されており、それらは建築本体と共に近世から近代への建築技術の推移を示す貴重な資 料として評価されている・・・配布パンフより引用


石谷家とは・・・・

頭宿の中央に位置する石谷家は屋号を塩屋といい、元禄時代の初めに鳥取城下から移り住んで本拠を構え、分家をつくり繁栄していきました。
江戸後期には藩より命ぜられて「大庄屋」を務めながら地主経営や宿場問屋を営み、明治に入ると商業資本家として地場産業の振興を図る一方、救済事業、学校建設、道路改修など篤志家として町の発展に尽くしました。
 また、明治三十年代になると林業経営と農民金融を発展させ、大正十二年には「因美線」の開通に私財を投じて完成に導くなど近世・近代を通じて石谷家は地域社会の躍進に大きな役割を果たしてきました・・と、ある


さぁ、拝見しましょうか・・・

表門を入ると、前庭を配して右手に式台のある玄関・・・

・・・式 台(本玄関)・・・
 江戸時代、鳥取藩主の参勤交代の時、藩主・池田公は本陣に宿泊され、随行の上級武士は当時在役人であった石谷家に宿泊した。その名残として家の格を表すために、武家風の式台がつくられた・・・

正面の大屋根の主屋の入口・・・
右に受付・・・入館料500円・・・

一歩、主屋の入口をくぐると・・・・おおおぉ・・これは!これは! お見事、凄い!!

土間・・・

石谷家の土間は作業場だけではなく別の目的のため広さが必要だったのでしょう

上部構造は吹き抜けで梁には巨大な赤松、大黒柱は一辺が1尺2寸(36cm)もある欅材を使っている

腰板は栗の一枚板で、このような直径80cmの栗の木は滅多に無い

土間から天井までの高さは約14m弱あり、土間を一段上 ると囲炉裏の間。家族の内玄関でもあり、出入りの人達と家人との情報交換の場でもあった


和室応接
・・・八畳の書院座敷で、床の間と床脇があり、L字形に濡緑がまわる。
床の間は床柱を建てない変わった造りで、南側に床の間、北側に地袋が付く。
平書院の欄間には、石谷家屋敷を鳥撤した図面が彫り込まれている・・・


石谷家住宅各部屋の欄間と鬼瓦の制作者・・・「大仏師 国米泰石」・・・


床の間の掛軸は・・・「谷文晁」・・・

畳廊下・・・

      仏間・・・


仏壇は年代不詳であるが、江戸後期ではないかと言われている(真言宗)
天井は煤塗りで、長押は漆に金箔の縁取りをし、廻り縁は面皮仕上げで、天井竿は 床差しである
仏壇上部には薄く彫物がしてあり、下部引き戸のは四季の花が描かれている
畳は通常6尺のところ7尺の別注がいれてある…案内板より引用



新建座敷…
 昭和16~18年に改築された場所。 天井材には奈良の春日杉、床柱は屋 久杉の笹杢、床壁は和紙の袋張りの 書院造り。江戸時代からの池泉式庭 園が取り入れられ、眺めが美しい




新建座敷からみる、江戸時代からの池泉式庭 園・・・


江戸座敷、江戸建物で石谷家の中では最も古い部屋です・・・

部屋全体を煤で塗 り、長押、床柱は角の丸みを残す面 皮仕上げ。

天井は江戸中期以降に見 られる床挿しといわれる樟が床の間 に向かって伸びている珍しい造り。

窓の障子に細工が施され、それぞれ 陰影が美しい。

東に牛臥山を臨む庭 園の春夏秋冬の趣きは格別なものが ある

柱・長押は角に樹の肌の丸みを残す杉の面皮仕上げ・・・

部屋全体を煤を菜種油で練ったもので塗り、天井は床差しと言われる棹が「床の間」に向かっている珍しい造りです

平書院の猪目形の框・・・

東に牛臥山を臨む庭 園・・・ここから見る庭が一番かも・・・


風呂、換気口?にも彫物が・・そして、新しい換気口がありますね!


二階へ・・・螺旋階段と太鼓橋・・・


神殿室
 造り付けの拝殿を設け、一部屋を石谷家の神殿として市巳っている
正月には右に山鳥、左に餅花をかけ、年桶を置いて祭祀を行っていた




池田家の揚羽蝶紋と三つ葉葵紋・・・

螺旋階段と太鼓橋
 二階へ通じる二つの階段のうち、-つは洋風螺旋階段で、吹き抜け空間を太鼓橋で渡らせている珍しい作り・・・シオジ材の木目が美しい!
表二階・表の間・・・

欄間には、大山(左)と隠岐の島の風景が・・・



主人の間・・・
 主人間は主屋の一階でもっとも上格の部屋である
床の間は、違い棚が付く書院座敷。上手東側には内縁が付いていたが、現在は間仕切りを
撤去し主人の間に取り込んでいる
座敷棟西側の畳廊下(南から望む)・・
枯山水庭園

蔵・・・
・・・ 7つの蔵があり、それぞれに米、味噌、什器類、調度品、衣類、林業用具、炭などを保管していた。米蔵として使用されていた1号蔵は大正9年に上棟され、床板は厚く(約3cm)丈夫で、米俵の重みから内部の壁板を守るため、柱間隔が狭くなっている。2号蔵と3号蔵の間には調理棟
があった・・・






国指定重要文化財、石谷家住宅…地3000坪部屋数40余りと7棟の土蔵を有する大規模な邸宅

これまでも、色々、大邸宅を拝見してきましたが、いやいや、お見事でした!

やっと、念願がかないました…良かった、良かったです…(*^_^*)

あまりにも写真が多すぎて、・・・m(_ _)m


追記:備忘録中、説明は配布パンフより引用しました・・・





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