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2017年6月16日

青の洞門・・・大分県中津市本耶馬渓町樋田!


九州の旅は続きます・・・
耶馬溪、青の洞門・・今回の九州の旅で、行ってみたい名所の一つでした・・・
雲八幡宮から、国道212号線日田往環を耶馬溪、青の洞門を目指します・・
15km、20分の道のり・・・小雨が降っています・・・




禅海和尚 頌徳碑

江戸時代後期の享保二十年(1735年)越後の旅僧禅海がこの地に来たり、人馬交通の難渋を救うためにこの洞門開削の大悲願を起こし独力でこれに着手し 不撓不屈の努力により営々三十年を費やしこの鎖戸の岩山をくり抜いたものです
洞門はその後、二回の改修によって当初の姿は変わったが、この入り口に向かって右側川沿いの旧洞門の明かりとり窓、堀違いの地点のものみの跡がみられ、当時の感激を物語っております・・・案内板より引用


頌徳碑の付近に「α君」を停め、笠さして、歩きます・・・
県指定史跡・・・青の洞門!
旧洞門・・・禅海和尚の手掘り跡、青の洞門の明かり窓・・・

こんな暗闇で掘削作業していたのでしょうね・・・
フラッシュ、炊いてみました・・・

禅海和尚 像・・・
明かり窓から、対岸を・・・観光バスが止まっていますね!!
う~ん!  よき景色です・・・

「α君」に乗って・・・洞門を走って抜けましょう・・・時間差、一方通行です

耶馬溪の風景?
戻ります・・・時間差、一方通行です・・・信号が青になるのを待ちます・・・



ググってみました・・・・
寛延三年(1750年)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは宝暦十三年(1763年)であった

諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる

寛延三年(1750年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている

安政元年(1854年)から安政三年(1856年)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている
・・・Wikipediaより引用

偉業を成し遂げた証でもありますね・・・青の洞門・・・訪れることができて、よかったです!


追記:平成29年4月28日・・・日本遺産認定されました、中津市、玖珠町



訪問日:2017年5月24日







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