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2017年3月18日

大阪城・・・極楽橋より入ります・・・

数十年ぶりに訪れた、大阪城梅林・・・ちと、遅かったですが、いやいや、美しい梅の花でした!!
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2017/03/blog-post_17.html

梅林は、図、下の白丸、極楽橋は上の白丸・・・


内堀沿いに天守を左手に見ながら、ブラブラと・・・極楽橋へ・・・

内堀

本丸を取り囲む堀で、南側を空堀とするほかは水堀となっている
寛永元年(1624年)開始の徳川幕府による大阪城再築第2期工事により、豊臣時代の本丸に盛り土を施して 石垣が築造された。幕府の命令によって動員された大名は豊前小倉藩細川家・加賀金沢藩前田家・ 因幡鳥取藩池田家・筑前福岡藩黒田家をはじめとする59家、総延長は約2.7km、東側石垣の高さは水面から 約24mに達する。本丸内には堀に面する石垣の角を中心より三層の櫓が11棟、二層の櫓が2棟そびえてていたが、7明 明治維新の大火により全て焼失した・・・

なにやら、船がいるぞ!!
黄金の和船・・・大阪城御座船・・・内堀を巡って観光でしょうね!・・・
・・・・因みに、料金は、大人一人、1500円・・・う~ん?

極楽橋の右手前に青屋門があります・・・ここは後ほど・・ね!

極楽橋・・・が、見えてきました・・

極楽橋・・・

山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。豊臣秀吉が天正十一年(1583)に築城を開始した大阪城でもこの付近に架けられた橋を 極楽橋と呼び、大阪夏の陣による落城後、幕府が再築した時にも架け直された。江戸時代には幅約8m(四間)の木造で 、慶応四年(=明治元年、1868年)に起った明治維新の大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965) に再架橋された。現在の極楽橋は長さ約54m、幅約5.4mで橋脚・主桁を鉄筋コンクリート造りちしつつも、上部は歴史的景観に配慮し 伝統的な擬宝珠高覧としている。
「極楽」とは仏教で説かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土真宗本願寺派の本山 、大阪(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている・・・案内板より引用



極楽橋の擬宝珠高覧も見ながら・・天守閣を・・・パチリです・・!

山里丸

内堀に囲まれた大阪城本丸のうち、天守北側の一段低い区域を特に山里丸(山里曲輪)と呼ぶ。 豊臣時代には、山里の風情をかもし出す松林や、桜、藤などの木々がしげり、いくつもの茶室が建っていた。 天正十一年(1583)に大阪城の築城を開始した豊臣秀吉は翌年1月、天守完成よりも早く、ここで、茶室完成の御披露目を行っている。秀吉は、要人をもてなす場、家族のくつろぎの場 として山里丸を利用し、没後は遺児秀頼により、父秀吉を祀る豊国社も建てられた。 慶長二十年(元和元年、1615)の大阪夏の陣では、秀頼とその母淀君がこの地で自害したと伝える。
のち徳川幕府の手によって大阪城は全面的に築き直され、ここには一年交替で城を守衛する大名、山里加番の主従が生活する小屋(公舎)が建てられた・・・案内板より引用



秀頼・淀殿ら自刃の地・・・
慶長二十年(元和元年、1615)の大阪夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた秀頼とその母淀殿が山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている 。それにちなんで、平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた

刻印石広場・・・



山里丸石垣の機銃掃射痕・・・
・・・昭和20年(1945)三月から終戦前日まで、大阪は8度に及ぶ大空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍事工場があった大阪城も標的となった。山里丸ではこのほか爆弾によって南側石垣上部が吹き飛ばされ北側内堀に面した石垣も数カ所ひずんだが、現在は修復されている
山里口出枡形・・

本丸と山里丸を結ぶ通路に設けられた枡形で、徳川幕府が行った大阪城再築工事によって築かれた。外敵に備えるための石組み囲まれた四角い区画を枡形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出ていることから出枡形という。南には本丸に通じる姫門、東には山里丸に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。 なお西は埋門となっていて隠し曲輪と通じている


西の埋門となっている隠し曲輪・・・

天守下仕切門跡
天守台の西側は石組によって南北が隔てられており、通路とことなった箇所の門を仕切り門と呼んだ。北から本丸中心部へ侵入しようとする敵の直進を妨げるため、両脇の石垣を行き違いとし、そのため門は東を向いていた。徳川幕府による大阪城再築時に築かれ明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。
修復中です・・・
いつ眺めても見事ですね・・・
金のシャチホコ・・・

極楽橋・・・場内より・・・


梅林から、内堀沿いに歩き、極楽橋より場内へ・・・
秀頼、淀殿の自刃の地・・拝見いたしました・・・そこは、家族のくつろぎの場 として使われていた山里丸で最後を迎えたのですね・・・
そして、山里丸石垣の機銃掃射痕も初めてしりました・・・


いや、なかなかのルートでした!

さて、極楽橋から、京橋口へと向かいます・・・・






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