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2016年10月29日

甘棠亭・・・県指定文化財を訪ねて・・・兵庫県養父市八鹿町伊佐!

養父市八鹿町伊佐・・・中井権次一統の足跡の舟山神社(赤丸)を参拝と・・走ってきました!

県道2号を挟んで、北側?に、兵庫県指定文化財・・甘棠亭・・・が、あります
下調べで、県指定文化財、甘棠亭があると・・ほんの近く・・兵庫県指定文化財・甘棠亭から、拝見いたしたいと思います・・・




道路沿いには、案内の看板はあるのですが、一歩、民家の間の狭い、生活道路、農道へ入ると?
うん? どこじゃ? と、探すはめに!
・・・廃業された、医院が・・意外と古いのではとおもう、建物なんですが・・・後述・・・
そう、この医院の裏手に、甘棠亭がありました・・・う~ん! これは、分かりませんね!!

・・・旧小出医院と小出家本宅の間にありました・・・
案内板

延宝四年(1676)3月3日に伊佐新田視察のため出石藩主・小出英安公の御成りがあり、一亭を営み、松を植えてお迎えしました これが、甘棠亭で、松が「九思の松」(県指定・昭和52年滅失)である 屋根は一重入母屋造で、茅葺、規模は正面桁行が5.416m、側面、梁間が3.94m、棟高は6.60mをはかる
部屋は、上段の間と下段に分けて藩主を迎える格式を保つ

地誌「但馬考」を編集した出石藩の儒官・桜井舟山は当家に生まれ、その師である伊藤蘭嵎が「甘棠亭」と名付けました。
文化十五年(1818)にも藩主・仙石政美公を始めとする147人を迎え、さらに文政七年(1827)にも政美公は甘棠亭に訪れました
藩主御座所の姿を今に伝える貴重な遺構として、兵庫県の重要文化財に指定されています。
・・・案内板より引用
現、小出家本宅・・右が甘棠亭となる・・


甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、長らくシンボルとして県の文化財にも指定されていましたが、昭和52年に滅失・・・
現在は石碑が建立されていますが、判読が難しいです・・・


江戸時代の最新技術が使われた伊佐の新田開発は、出石藩に願い出て行われた町人による水田開発とのことです・・・

そして、旧小出医院の建物についてググってみました

・・・養父市の近代建築・・・旧小出医院

・・・大正7年に建てられたこの小出医院は、平成10年まで現役で使われていました。
角地に面して建てられた木造平屋建・・建物中央に車寄せを設け、左右シンメトリーに部屋を配置、大きな寄棟屋根には和風の桟瓦葺・・小村の医院ながら本格的な洋風技法を取り入れた折衷様式で建てられていると・・・

基礎に布積みの礎石、壁面は黄褐色の漆喰壁、軒下はモルタル仕上げ・・・窓枠や玄関扉は当時と変わらぬ木製のままのようです・・・ガラスは割れたか、割られたか?・・荒れていくだけですね!

ちょっと、奥まった所に歴史が隠れていますね・・・
・・・甘棠亭・・・ほんとは、そっとしていてほしい?・・だから、案内標識がないのかなぁ?

と、一人ブツブツとね!






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