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2016年9月3日

白毫寺・・・兵庫県丹波市市島町白毫寺!


天台宗、五大山・・白毫寺!
この白毫寺は、長さ、120mの藤棚に「九尺藤」が見事な花を咲かせることで、知られています!

しかし、中井権次一統の足跡でもあるのですが・・・しかし、その作品は、非公開!!
・・・中井権次一統の資料では、彫刻は中井権次正貞・・作品は欄間の彫り物のようです!
非公開ではあれば、それは仕方ありません・・・一応、中井権次一統の足跡を巡っている私としては、参拝しないわけにはいきません・・・

白毫寺・・丹波市指定文化財「太鼓橋」・・・県指定文化財、寶篋印塔にも興味津々・・・
そして、来年、伺うであろう?・・長さ、120mの藤棚に「九尺藤」をもね・・・見ておこうと!

白毫寺は、志納金、300円・・・


寺伝によれば、慶雲二年(705年)法道仙人により開基された。 本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。  眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたので、「白毫寺」と名付けられた。 また、入唐求法から帰朝の際に白毫寺を訪れた慈覚大師円仁(後の第三世天台座主)は、 周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を「五台山」と命名(後世に五大山と改称)し、 持ち帰った密教法具を伝えた。円仁が“中興の祖”と呼ばれる由縁である。  法道仙人はインドの僧で、中国・五台山で修行の後に日本を訪れた。 円仁もまた五台山で修行を重ねている。開祖も中興の祖も、 共に五台山にゆかりがあるのは不思議な因縁と言うしかない。  鎌倉時代には七堂伽藍が建ち並び、南北朝時代に入って赤松貞範など地元領主の庇護のもと、 九十三坊を擁する丹波屈指の名刹として隆盛を極めたが、天正時代に明智光秀の丹波攻略に伴う兵火で焼失。 しかし、人々の厚い信仰に支えられて立派に再興し現在に至っている

白毫寺の入り口である、石門の手前にあった・・・七福神の石像・・・
中央が、太鼓橋・・
市指定文化財・・太鼓橋
心字池に架かる太鼓橋は、人間の迷いの世界から仏の悟りの世界へ至る渡彼岸の思想を表しているとされる
その規模は、長さ5.2m、幅2.05m、高さ1.75mで覆い屋であるさや堂に納められている
橋の構築時期は作風からして、江戸時代中期、元禄年間頃と推測され、さや堂も同時期に完成したものと考えられる
市内のみならず、全国的にも木造でこの種の橋は数少なく、優雅な姿を池に映している・・・案内板より引用

橋の手前(写真下、左側)が私たちの俗世界。反対側(写真下、右側)は仏たちの覚りの世界を表し、急勾配は、悟りへの道のりの厳しさを表現しているそうです
ええ、感じです~!
薬師堂・・・白毫寺総本堂
本尊は、薬師瑠璃光如来(秘仏)
孔雀が飼われていました・・・
久しく、孔雀みていませんね・・・羽、広げてはもらえませんが、金網に隙間から・・・パチリです!




扁額・・・五大山


向拝、梁上の彫物・・・鶴にしては首、短いしね?


木鼻、持送り・・・見事なのですが・・
よく、分かりませんが、中井権次正貞の作ではないでしょうね?




長さ、120mの藤棚に「九尺藤」・・・咲き乱れる時は、見事でしょうね・・・
・・・Panasonic DMC-FZ1000 初めてのパノラマ撮影・・


長さ、120mの藤棚に「九尺藤」は開花時期は五月・・・嫁、行きたいと申していますので、来年は、花見に・・・(*^_^*)

白毫寺・・・中井権次一統の作品集のホームページには、掲載されているが、作品集には、寺院名の記載が無い・・・
非公開は、掲載しないのか、寺側の要望か?・・・如何せん、拝見出来ないものは仕方ないことです・・・

寺院にある中井権次一統の作品を拝見するのは、ちと、難しいですね・・・
市島町、済納寺のご住職のように、本堂へご案内いいただき、さらに、中井権次一統の資料を見せていただき、さらに、お茶まで・・・そんなお寺もありました・・・
しかし、普通は、本堂の向拝の彫物を拝見することできれば、最高です・・
本堂の内部、須弥壇の上部とか、欄間とかにある、作品は、まず、拝見するのは、無理ですね!
まぁ、勝手にズカズカ、境内へ入るわけですからね・・・お許しを請うこともありますが・・・!!

そして、帰途中・・・しまった! 県指定文化財、寶篋印塔を見逃してしまった・・・ああぁ!
まぁ、来年、「九尺藤」を拝見時に、拝見しましょうかね・・・覚えていればいいのですが・・・

そうそう、本堂右手に、ぼけ封じ祈願がありました・・・心込めてお願いしておきました・・・m(_ _)m





参拝日:9月1日





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