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2016年6月29日

高座神社・・・中井権次一統の足跡を巡って‥兵庫県丹波市青垣町東芦田!

兵庫県丹波市青垣町東芦田、高座神社・・・中井権次一統の足跡を訪れます


写真下の畑、畑~ この右手に、鎮座されています、このような景色、丹波市、いいすね!
社頭‥(社務所、工事中)
石造りの鳥居・・・正徳二年(1725年)の刻銘がある
どこか、波打っている石段・・・右は、社務所へ

拝殿

拝殿・・・めちゃ、存在感がつよいスね

この拝殿は奥に長いのです

唐破風の向拝 龍が一体

そして、拝殿内の戸の隙間より、パチリすると、奥の梁の上に、二体の龍がいます
合計、三体の龍がいてはります・・・  隙間からの写真が、これが限度です!

狛犬君が見えますね

本殿‥
間口二間半・奥行き一間半余り、四方に廻嫁がある大宮ツマ造りといわれてると
本殿


御由緒
御祭神
大日霊尊(犬照皇大神・伊勢内宮鎮座にて国家安泰)
天児屋根命(春日大神・国土経営・諸業繁栄・家内安全)
経津主命(香取大神・外交の神・災難除け)
武甕槌命(鹿鴫大神・勝運・戦勝・交通安全)
仲哀天皇(日本国の開国安定・慈愛の神)

 当社は人皇十四代、仲哀天皇(今より千八百余年程前)にお祀りになられた御社で、天皇が中国地方の穴門へ行幸の前年 にこの地方の村民が流行病で難渋しているのをご心配になられ武内宿禰をお供としてお見舞いになり、この社に参拝され 「病気平癒」を祈願され、お宮の名前を高座(たかくら)と名付けられました古社であります。 以前は高座谷にありましたが寛文十年(1670年)にこの地へ遷座されました。 延喜年中(901~923年)当郡式内社第一に列せられ弘仁四年(813年)嵯峨天皇より勅額を賜りました。 しかし、古記・宝剣・勅額等は弘化三年(1846年)別当観蓮失火のため惜しくも焼失してしまいました。 現在の本殿は間口二間半・奥行き一間半余り、四方に廻嫁がある大宮ツマ造りといわれております。 又別名を蟻の宮と称えています。今を去ること夏おおいに早魅の年、村民多数高座神社に参拝し七昼夜、雨乞いの祈願を 致しました 七日目の夕、村人の一人が大きな蟻がご社殿から這い出て列を作っているのをみつけました。 蟻の列をたどっていくと蟻が窪みの所で消えてなくなっていました。 蟻が消えた窪みを掘り返してみると、清水がコンコンと湧き出てきました。村民は驚き感激して、溝を通し田に水をたた え枯れかけた稲は青く蘇りました。この年芦田の谷では豊作の年を迎えることが出来たのです。今日でも水路に水神様の 嗣を作りお祭りを続けています。又、境内社の馬鳴神社は蚕の宮といわれ氷上郡内の豊かな生活を求め当社に参拝し、 「養蚕を始めよ。守護する神は保食神なり」と夢のお告げにて村民は驚き、広く養蚕を営むようになりました。ここに青垣 の地方は蚕を飼うようになり今日では五穀豊穣、諸業繁栄、延命長寿、無病息災の社として参拝されております
・・・配布案内書より引用


境内社・・若宮神社 祭神、応仁天皇
一対の石燈籠‥明和六年(1769年)
ここ、高座神社は、刻銘が木札に記されています‥助かりますね!!

写真下、右・・・蚕ノ宮
拝殿前、鳥居横の石燈籠、安政三年(1836年)
‥石工 藤原?良政直とある‥
社頭の一対の石燈籠‥嘉永三年(1830年)

長い拝殿、一直線に並ぶ三体の龍、拝殿を取り巻くか如く、蟇股の彫物・・・見応えがあります

そして、狛犬・・・別途、備忘録を記します



参拝日:6月2日


これより写真は、蟇股の彫物です・・・
Panasonic DMC-FZ1000での写真‥お初です・・・(*^_^*)





木鼻







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