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2016年4月18日

若宮神社・・・兵庫県多可町加美区奥荒田!

国道427号線から、県道8号線へ左折して、越知川名水を、汲みにいく通い慣れた道・・・
兵庫県多可町加美区・・・播磨二宮、荒田神社も、あります・・(赤線部分)


      上地図、赤点の箇所に、文字の消えかかった「若宮神社」ここから2kmの道標・・
・・・と、いう道標が、いつもいつも気になっていました・・・

GoogleMapストリートより

神社庁の案内地図のは、大将軍神社とある・・・

で、本日は、越知川名水へ向かう途中・・参拝します!

県道8号線より、目安をつけて・・民家の間をすすむと・・・その奥には、ゲートボール場!
その上に・・・若宮神社が、みえます・・・
では、鳥居をくぐって、参拝します
ここまでは、なにか、期待がね?・・
・・・と、思いきや・・・

若宮神社の由来の説明板を、じっくり、拝読すると・・・おおぉ・・・
そこには、この多可町一帯の歴史物語が書かれていました・・つい、読みふけってしまいました!

で、案内板・・今回、すべて、記しました・・ただ、一文字のみ、判読不可でしたが・・m(_ _)m
若宮神社の由来
若宮神社に祀られている有田源八郎朝勝は、中町門前の山頂にあった段之城の城主であった(天正三年七月二十四日落城
有田氏は播磨の名続として著名な赤松氏の一族で赤松三六家にその名を残している
史記によると文和(1352~55年)の頃、揖西郡(現龍野市)黒崎山の城主赤松肥前守朝範は父、範資に従って足利直義と戦い湊川城を守って大きな功績をあげ足利尊氏から恩賞として東播八郡を領し住居を西播より東播の現在の加西市在田村に移し
殿原山に城を築いて城主となり地名をとって在田(有田)氏と名乗った
朝範の子則康が父のあとを継いで二代目城主となり、弟の重友は分家して現在の八千代町に野間城を築いた
段之城の城主は有田源之丞朝行、二代目同、主馬朝裕、三代目同源八郎朝勝と続いたが、天正三年七月二十四日(1575年)夜半に東篠谷の豊地城、孫右衛門尉重棟の攻撃を受け、落城した
落城の砌城主有田源八郎朝勝は数名の従者と共に北へ降り城山の西中腹に横道あり、之を伝いて、現在の熊野部村の南方に出て的場荒田神社に至り山麓の細径をへて奥荒田村に入り山麓で力尽きて主従共に自刃す
後に村人がここに五輪の塔を建てその前社詞を建て所持の武具類や刀を納めて若宮大明神としてその霊を祀った 先年社殿改築の際明らかにされたところに御神?有田源八郎朝勝と書いた人形と小太刀とである
其の自刃の跡は一段高く五輪之塔六基と他に新しい一基がそこに建てれている・・ 加美町歴史深訪研究会
・・・説明板より引用

主祭神: 素盞嗚尊  配祀神: 有田大神
無格社(兵庫県神社誌)
写真上:左、社殿・・・
写真上:右、社殿・・・
社殿裏手の五輪塔・・

播磨の名続として著名な赤松氏の一族の名はよくでてきます・・
若宮神社・・この地に、そんな歴史があろうとは・・・勉強になりました!
この度、若宮神社の由来を読み、記しながら、加美町歴史深訪研究会の歴史説明に感謝しながら、今回、備忘録を記しました・・・m(_ _)m



参拝日:3月29日







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