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2016年4月14日

島田神社、本殿・・国指定重要文化財を巡って・・福知山市字畑中1882-1

福知山市字畑中1882-1 国指定重要文化財の島田神社、本殿が所在しています!
以前から、訪れたかった神社の一つです・・・
最近、丹波市、福知山市、朝来市を行ったり来たりしてます・・・(*^_^*)
やっと・・・チャンスがきました・・・
国道429号線を東へ・・・畑の中に・・森が・・・おおぉ、地図からして、ピンポンです!


火の見櫓の左下・・・
この島田神社には、「P」がありません・・・仕方なく、ちょっと広めのところに「P」、させてもらいました・・m(_ _)m
神域を囲むが如き、小川があり、その、神域内に、境内案内板があります
・・・詳細は、別途、記します・・
ええ、雰囲気ですね!
手水舎はありません・・・この川の水にて、清めて、境内へと・・・と、思います!

拝殿・・・
国重要文化財 島田神社本殿

島田神社本殿は和久川上流の上豊富地区、畑中の所在します
本殿柱上部に記された文亀二年(1502年)の墨書から市内最古の木造建築となり、また全国的にも数少ない中世の神社建築として国の重要文化財に指定されています
この神社の所在する上豊富地域は、平安時代の和名妙によれば拝師郷と呼ばれ、また皇室領として「豊富庄」の名がみえ、南北朝時代には天龍寺に寄進されています
一方、丹波志によると江戸時代初期には近郷の樽水(甘栗)、談、北山、畑中、小牧を含めて「豊富村」と呼ばれており、島田神社は村の総社として五か村で祭礼が行われていました
神社本殿は三間社流造と呼ばれる古風な様式を伝えますが、500年という長年の間に数多くの修理が行われ、屋根は取り払われ、軒先や縁回りも切り落とされました
昭和9年(1934年)には本殿をすっぽりと覆う覆屋が造られ、創建当初の形態は大きく改変され、また破損も目立ち始めていました
このような中、福知山の大切な文化財を守るため、平成19年(2008年)春から文化庁事業として京都府教育委員会による解体修理工事が行われました
この中でも発掘調査、建築部材の調査や形状の検討から当初の姿がほぼ解明され、創建当初の本殿を再現する復元修理の方針が固まりました
屋根は「こけら葺」、軒、縁は基壇部の発掘調査成果から当初の大きさに修復し、外装はベンガラによる朱、胡粉による白の塗りを再現しました
復元修理工事は平成21年(2009年)春に竣工し、500年ぶりに創建当初の島田神社本殿の姿がこの地に再現されました
・・・平成21年3月 福知山市教育委員会・・・案内板より引用

前出の境内案内より、抜粋、引用・・
本殿は三間社流造で、内部は内陣を三室に区画し、各外陣境に板扉を構え、両端室には永正三年(1506年)の墨書のある一間宮殿が置かれている
身舎・蟇股・手挟・花肘木・拳鼻等は細部意匠に変化をもたせており、工匠の創意工夫が認められるが、保守的な形式技法を踏襲している


国指定重要文化財・・・島田神社、本殿
・・・左側より・・・
・・・右側より・・・
拝殿越しに本殿を・・・
蟇股、欄間の彫物・・いや、実に美しい・・・

左・・
中・・
右・・
中、拡大・・

             手挟み


基壇・・床下は塗らないのやね!


案内板より、抜粋・・・


境内社・・
社務所

          鳥居横、石灯籠・・・文化六年(1809年)の刻銘がよめる・・・

いや、見事なもので、実にうつくしい姿です・・・
本殿の外装を触ってみました・・・ベンガラによる朱が手に付着します・・・ね!

しかし、境内案内板、福知山市資料にも祭神の記述がみられない・・
ググってみたら、先人の資料に・・・
当社祭神には三座説あり、即ち(中)稚武王命(左)十成別王命(右)息長田別命・・と、ありました・・m(_ _)m

そして、この写真を撮っている短時間の間に、お二人の女性が、参拝に、こられましたよ!

今回の備忘録は、自評、学術調査?みたいに写真が多かったですね・・・(*^_^*)
いつものことや!・・って、云われそうですが・・・・!!


参拝日:3月20日





2 件のコメント:

  1. 拝殿前の狛犬1対と拝殿右方向に1体の狛犬は2013年に新しくなりました。 以前の狛犬は力強い雰囲気が良かったのですが。鳥取県でとれる
    砂岩で作られており、もろくなっていました。現在のものは愛知県岡崎で作られた御影石製です。顔つきが少し穏やかになった。

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    1. 情報ありがとうございます。私が参拝したのが2016年ですからの時は新しくなった狛犬だったのですね。以前の写真があれば見てみたかったですね。

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