右、神子畑選鉱場から、左、明延鉱山へ向かいます
右・・神子畑選鉱場 左‥明延鉱山 「α君」で行くには、国道429号線から、県道6号線を青いルートのごとく、グルッと回らなければならない 距離22.2km 約40分 当時は緑線に電車用トンネルがあったようで、今は通行不可 開延鉱山から神子畑選鉱場までの6㎞らしい…… |
県道6号線を走って、山、下っていくと……
おおぉ!‥突然、県道6号線の道沿いの、それもカーブのところに、明延鉱山探検坑道の入口が現れました……
明延鉱山探検坑道
明延鉱山……日本一の錫鉱山
奈良・東大寺の大仏鋳造の際、明延産出の銅が使用されたと伝えらえる歴史の古い鉱山です。
豊臣秀吉が支配し、江戸時代に江戸幕府の下で生野奉行所の所管になりました。国内有数の銅山、銀山として盛衰を繰り返し明治で畏怖によって明治5年に官営化。
その後三菱に払い下げ、明治42年に錫鉱脈が発見されると、「日本一の錫鉱山」として栄え、錫の産出量は全国の90%を誇ったといいます。
昭和30年頃には、従業員は1500人、職員住宅に暮らす所帯数は1200以上、人口も4000人を超えました。
明延鉱山は、やがて世界的な鉱物の価格競争に巻き込まれます。
円高によって採算性が合わなくなる中、昭和62年(1987年)有望な鉱脈を残したまま、閉山となりました……鉱脈の道より引用
明延鉱山探検坑道……「世谷通洞坑」
明延鉱山の鉱床形式は脈状で鉱脈は130条板状あり、その鉱脈に沿って多くの坑道が掘られました。 閉山までの坑道総延長は約550km、面的な広がりは約5k㎡あり、海面下138mまで掘り下げられています。 この坑道は明延鉱山株式会社が(当時)使用していたものを平成元年(1989年)に青少年の学習施設として整備したものです。 |
TVで放映されていましたが、内部は、昔そのままの状態とのこと!……興味津々です
しかし、簡単に見学できません、予約が必要です!
……坑口隙間よりレンズ差し込んでパチリ!
明延鉱山探検坑道……「世谷通洞坑」の上に、鉱山学習館があります
ここ、注意、南から県道6号を走ってくると、道、曲がれません……一旦、先へ進みUターンして入ります
残念ながら、年末、閉館です
明延鉱山探検坑道
内部も整備されています……SONY-RX100のフラッシュでは奥まで届きません
入坑料、高校生以上、1200円 日曜日以外は5名からの予約らしい‥
う~ん? 私は絶対見学できないね……だって、一人だし、平日だし、困った仕組みですね!
坑口にある、近代化産業遺産……平成19年度経済産業省の銘板です!
蓄電池機関車
鉱山での運搬作業は、ほとんどがバッテリーで動く蓄電池気動車を使っていました |
蓄電池人車……鉱山の従業員を運んでいた蓄電池人車です
赤金号
この電車は客車専用の電車! 前輪と後輪の大きさが違うのが特徴です 明延鉱山工作課製造 すべて、明延鉱山で製造されたのですね! |
架線式電気機関車
鉱石、作業員などの輸送の主役はこの架線式電気機関車です 機関車の種類は用途により重量4トンから10トンまでありました |
この展示のNo15の電気機関車は尾去沢鉱山(秋田県鹿角市)より転用してきたもので、国産の電気機関車では初期のものです
昭和13年、三菱電気製造
「P」?の側の岩の割れ目……高さ15~20mぐらいか?
鉱山周辺の岩石は、約2億5千年前に、泥、火山灰、溶岩などが固まったもの
6000万年前の地殻変動で地層に多くの割れ目ができたとのこと……
下写真は多分違うとおもうが、いや、そう、想って見てます
では、明延鉱山の町へ向かいます
続きます
訪問日:2015年12月29日
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