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2015年10月29日

生野銀山・・・No2 慶寿ひ(金香瀬旧坑露頭群)・・・兵庫県朝来市!

生野銀山・・・永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる・・・
・・・銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている・・・と、すごいね!!

滝間歩旧坑・・・・金香瀬坑出口上部・・
生野銀山初期(1542年)に掘られた坑道で鉱脈の中だけ掘った、人のやっと通れる程度の典型的な旧坑である・・・

彫刻の跡・・・南無阿弥陀仏、仏像?
戦国時代、徳川時代、坑夫たちが仕事の合間に坑内安全を祈願して掘ったものとある・・仏像?

金香瀬旧坑露頭群入り口・・関所である・・要:通行手形・・(*^_^*)
ここから往復約30分・・・ちと、ばてています・・


      

露天堀跡(慶寿ひ)・・・ 慶寿ひは生野銀山最大の鉱脈である、千珠ひの一部で非常に品質の高い銀(自然銀)を算出しました。この鉱脈が発見されたのは、室町時代末期の永禄十年(15687年)頃と記録されている・・ ここから見える堀跡は慶寿ひの一部で、江戸時代の末期まで三百年間休むことなく採掘され、地下200m の深部まで達していると・・・案内板より引用
        
          慶寿の堀切・・・徳川時代・・・史跡、露天堀、慶寿ひ・・・
          銀山日記に記されている・・・“銀の出ること土砂のごとし”・・の文言
        今、当時を想うに・・ここに立っているだけで、ワクワクしてきますね・・・(*^_^*)
      


徳川時代・・下川戸坑、坑口・・
徳川時代の旧坑・・・出賀坑、坑口・・・

慶寿の堀切・・・
地中から噴出した鉱脈が地表に現れたものを露頭というが、これを露天堀で鉱石を掘り取った徳川時代の採掘跡・・・
坑夫の掘った線刻・・・
戦国時代、徳川時代、坑夫たちが仕事の合間に坑内安全を祈願して掘ったものとある・・仏像?
徳川時代の旧坑・・・辰巳坑、坑口・・・
観音岩・・・自然とできた観音様・・・

資料館に入ります・・・
この模型は江戸時代の坑内略図を参考に東寺、生野銀山で鉱石を掘り出す作業を再現したものです・・・
蟻の巣のごとく・・・すごいです・・・
水を汲みだす者・・・

風を送る者・・・

監督する者・・・

休息をしている者・・・

地中深く・・気が遠くなりそう・・

いやいや・・・
見ているだけで、恐ろしくなります



これが、300年間も続いて、銀を掘り出していたとは・・・

人間の力はすごいね!

権力の握る者のなせる力か・・


          出ました・・・生野銀山産出銀鉱石・・・
          ・・・残念ながら、虫眼鏡みても、よく、わかりましぇ~ん!!
       


入り口の門柱・・・菊の御紋の入った門柱です・・・
生野銀山は明治に入ると共に政府直轄鉱山となる・・・明治九年、当時の工場正門として建造された・・・

          

          

陽が落ちてきました・・・山間は日陰で薄暗がりになってきました・・・



坑内、坑外を見て回りましたが、残念ながら、過去に訪れた記憶が出てきません・・・(^_^;)
新しい記憶として、備忘録に記しておきましょう・・・・

そうや!・・・世界遺産、岩見銀山にも行ってみたいものですね・・・



記念スタンプを・・・(*^_^*)

追記:訪問日 10月23日











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