ページ

ページ

2015年7月22日

岐尼神社・・大阪府能勢町観光、岐尼コース!

大阪府能勢町観光、岐尼コース!・・・この地域は棚田百選でも知られたところ・・・
長谷の棚田だけでも、三度ほど、伺いましたね!


石鳥居・・・右の柱に延享元年(1744年)と刻銘がある
岐尼神社・・・

創建の年月は延暦元年(782年)、摂津国能勢郡の延喜式内社、一座

大明山麓の森に鎮座する岐尼神社は「延書式」神明帳の能勢郡の項に 「岐尼神社」と記されている。以後社名については「岐尼・棋棍・杵 禰・、杵大明神」ともしるされ、また、近郷では杵の宮とも呼ばれていた。岐尼の神が社殿南側の小丘、天神山に降臨のとき、里人は臼の上に「杵」 をわたし、荒狐をしいて迎えたといい、新殿を造ってここにお遷しし 「杵の宮」と名付け祭祀したという。この伝承には「杵」という社名に つながる意味がこめられている。祭神は「天児屋根命」「壇聾杵尊」 「源満仲」である。
延暦元年(782)創祀以来、代々朝廷の勅願所 であり、将軍家代々のご祈願所であったという。
天下った丘を今も「天神山」と呼んでいる・・・観光パンフより引用

拝殿・・歌人達が・・・
写真下・・ボカシは、子供祈願の本名があるためです
拝殿内

拝殿内


本殿・・
本殿・・・覆い屋に波板で覆われ、様子さえ見えない・・

境内社・・稲荷神社

鶴・・・なかなか、見事な彫り物です!

御歌所寄人 阪正臣の岐尼神社境内に建つ歌碑・・
御歌所とは・・私、知りません・・・
日本国憲法施行以前に存在した宮内省の外局。1888年設置、1947年廃止。前身は御歌掛・・天皇、皇后等皇族の御製和歌と歌会始に関する事務を司った・・Wikiedia引用
阪正臣氏・・・明治18年に30歳で宮中御歌所に入り、明治28年には御歌所に籍を置きながら華族女学校の教授に任命され、在職中に明治天皇の内親王方の書のお稽古役を務めました。明治30年には、御歌所寄人となり、名実共に日本の伝統和歌(旧派和歌)の中心的指導者の一人となりまし た・・・Wikipedia引用

          

石垣、玉垣、巨樹といい・・・なかなか、美しい景観である・・・・
延暦元年(782年)創祀以来、代々朝廷の勅願所 であり、将軍家代々のご祈願所であったという、歴史ある神社・・・そう、感じさせないのは、覆われ姿がみられない本殿のせいか?

では、プリウスを「P」しておき、お隣の蓮華寺にまいりましょう!


参拝日:7月20日
















0 件のコメント:

コメントを投稿