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2015年5月18日

量興寺・・・兵庫県多可郡多可町天田160

高野山真言宗 高寺山 量興寺

加都良神社の左隣、加都良神社と白壁は繋がっているように見え、過去、寺領のようにも感じられる



縁起
650年頃に推古天皇の勅願寺として建立されたと伝えられる多哥寺の後身です。 平安末期に藤原顕頼が再興し、高倉天皇の母君の寺として寺格が高まり、量興寺となりました。 これまでの調査で、南大門、塔、金堂、回廊、鐘楼、参道が確認されており、多哥寺が播磨地域で最古級の寺で、多可郡の中心となり郡を代表する寺院であったことがはっきりしました。 東西64m、南北約80mの大きな規模を持ち、四天王寺と同様の伽藍配置のお寺でした。 12世紀には九篠家の荘園となって、僧房や食堂はとりこわされて水田になりました。 現在、多哥寺跡に立つ量興寺には、巨大な塔心礎が残り、出土した瓦から、播磨地方でも最古の寺院のひとつに数えられています・・多可町観光案内より引用
本堂、薬師堂

まさか、こんな立派な、意匠があるとは、素晴らしいです!

鐘楼

      本堂前の石灯籠
        
安政四年(1847年)の刻銘が読める
灯籠は、斜めからの姿がキレイかなぁ?
寺務所


よき、眺めです・・加都良神社、鳥居前よりパチリです!
広大は田畑の広がり・・民家が連なる真ん中付近が、鍛冶屋駅記念館・・・列車見えます
そして、正面の山の右手の山の麓に「大歳金比羅神社」があります

加都良神社、量興寺、思わぬところで、参詣がかないました
これも、多可町観光案内のお陰です
正面の山の右手の山の麓の「大歳金比羅神社」に参りましょう
ノンビリ、ひとりブラブラ歩きます

訪問日:5月14日


追記:加都良神社の由緒に、天保四年(1833)、間子の加都良神社の祭礼の席次にて紛争あり。結果、氏子分離し、当社創建。霊代を高寺山量光寺本堂に鎮座し、仮殿上棟と遷座を行う。
寛文8年(1668)、本殿造営す。・・・神社庁より引用


彫物の部位です

写真、ミスです(^^;)

木鼻・・・像の鼻が巻いているね!

持送り

手挟
鐘楼の木鼻







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