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2015年5月17日

春日神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・・兵庫県加東市上滝野

中井権次の足跡を巡ってます・・・その足跡の所在地で、兵庫県加東市には三社あります!
その三社とは、河高の住吉神社、藤田の木梨神社、上滝野の春日神社です
その内、二社、河高の住吉神社、藤田の木梨神社は5月8日に参拝いたしました!
そして、残る、一社、上滝野の春日神社に参ります・・・・


この春日神社・・・事前にググっていると・・秋祭りで屋台が練り出されますが、その屋台、写真を拝見すると、・・・それはそれは、見事な屋台(太鼓台)・・・

写真下:境内、左手に頑丈な太鼓庫がありました・・
・・・播州祭り屋台のように太鼓を乗せて担ぐものは、祭礼山車全般的な分類では「太鼓台」と表現される・・・
見事な屋台は、播州でも数少ない四軒繁垂木とのこと・・う~ん? よう、分からないのです!
ググって得た情報では、狭間の彫刻は二代目・松本義廣の作品とのこと・・・
で、又々、なにそれ?・・って、探究心がメラメラと・・・
播州祭り屋台装飾の花形は、狭間の彫物・・・
・・・狭間とは、井筒から棟を支える斗組の間に取り付けた彫刻のことである・・・と、ある!

ググって写真を見ているだけでも楽しいです!
お祭りの時期に行かないと、なかなかお目にかかれないのは事実ですけど・・・!


御祭神は、経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比咩大神
創建の由緒は、山十三代推古天皇即位二年(594年)法道仙人が当地で修行のとき、五峰山光明寺を開き、また、麓に光明寺の守護神として神社を造営するよう神託を受け、創立されたのが当社と伝えられています。
延宝三年に本殿、享保十二年に幣殿、拝殿が再建され、明治七年二月郷社に列せられています。
大正二年に下滝野の金刀比羅神社、稲荷神社、新宮神宮、角ノ神社を当社に合祀した・・と、ある・・案内板より一部引用

拝殿
拝殿正面の龍!
その龍の裏面・・拝殿内部より見上げれば・・赤四角の部分に、刻銘を発見・・・
丹波氷上郡柏原町 八代目 中井権次・・しか、見えないが、八代目 中井権次橘正胤とあるはず!
拝殿内部奥の虹梁、蟇股の彫物 鹿の夫婦?かな・・・
弊殿・・

弊殿・・少し前へ進むと、本殿の正面がみることができました!
いや、初めてかも・・こんな立派神社で本殿を拝めるとは・・吊り灯籠用か?裸電球がぶら下がっているのが、なにか、面白いね!
・・・近づかないように、ズームで下から見上げて、パチリですm(_ _)m
本殿、裏面

ちょっと・・ズームで!
左右:脇障子 
      

境内社

右:社務所 左:舞殿

写真左下:明和五年(1768年)  写真右下:文化七年(1810年) ・・の、刻銘がよめる!
         

中井権次の足跡は兵庫県加東市には三社あり、河高の住吉神社、藤田の木梨神社、上滝野の春日神社です・・
・・・これで、加東市は全て、拝見したことになります!

春日神社は、八代目、中井権次橘正胤(1854~1928年)の刻銘がありました・・・
もちろん、私には、作品を、見ても何代目なのか、分かるはずがなく・・・m(_ _)m

と、いうことで・・・!!


訪問日:2015年5月14日














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