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2015年4月11日

沢田八幡神社・・中井権次の足跡を巡って・・兵庫県篠山市沢田!

4月9日、中井権次の足跡を巡って・・綾部市の君尾山光明寺から始まり、八津八幡宮、宝住寺、正暦寺、安産の大原神社、そして、途中、閃きにて、壹鞍大明神、春日神社、梅田大明神・・と、なんと、八社を参拝してまいりました・・・そして、4月9日、最終目的地、篠山市、澤田八幡神社へ参ります・・・・
この沢田八幡神社・・・沢田城跡の北側に接するところ・・・に、ある・・・
篠山城跡(下赤丸)、市役所からも沢田八幡神社は車では、数分の距離・・・時間あれば、散策でもOKかなぁ?
・・いや、私は??です・・



沢田八幡神社です・・・・・・
沢田八幡神社・・・篠山市案内板より引用
ご祭神は、八幡大神、春日大神、事代主命と国土開発国魂神、同姫神及び元沢田城主小林近江守長任の神霊であります。境内の不動堂に、文治元年(1186年)、護摩堂再建の棟札があり、平安時代の創建かと考えられます。 その後、沢田城主の小林近江守が源氏の氏神、八幡大神を勧請して、現在の社名となりました。 毎年十月十六日の祭礼には当地方を開拓した祖神様を称えて、大蛇に模した鱧を切る神事、奇祭「鱧切り祭り」(町文)があります・・・
天正三年(1575年)、明智光秀の丹波攻めが始まると、小林一族は八上城主波多野氏に属して明智軍に抵抗したが、八上城周辺の城はつぎつぎと陥落、天正七年に沢田城も落城、そのとき沢田八幡神社も兵火により焼失した・・・
寛永九年(1632年)に篠山城主松平山城守忠国が本殿を再興し、城の鬼門の鎮守とした。それ以来、歴代城主が寄進と保護を続け祈願所となっていた・・・

本殿・・・
阿吽の龍が、向かいあって睨みを効かせていますね・・
いや、見事な彫り物です・・
左右:脇障子・・
右脇障子、裏面・・・その左下隅に「中井丈五郎正忠、中井文五郎正貞 刻」・・と、読めます
本殿、左面見上げて・・

部位・・・
小サイズにて掲載しています・・・クリックいただければ大サイズになりますm(_ _)m




不動堂・・
社務所


訪れた時は夕刻、やや光が足りません・・明るい日差しの中、訪れて・・・それぞれの彫り物、一つ一つジックリ眺めてみたい・・そんな気持ちになります!・・

今回、4月9日 訪れた、社寺仏閣・・・君尾山の中腹へ山登り、中井権次の足跡の地図を国道沿いに南下・・閃きで立ち寄れた神社・・先人のお陰新たな彫り師を知ることができました・・・

2015年4月、初旬の天候はおかしい・・その合間をみての、中井権次の足跡を巡ってきました!
さぁ、次なるコースを決め、天候をみて・・・でかけますか?・・・ねぇ、「α君」よ!

追記:4月9日 参拝





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