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2015年3月13日

神田神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県篠山市大山上!

ひとり旅の目的が増えました・・・中井権次一統の足跡を拝見しに、社寺仏閣を巡ります

その一番最初が高蔵寺・・・そして、二番目は、神田神社・・・
その高蔵寺への案内看板のある国道176号線を境に対面するがごとく、鎮坐されている・・神田神社・・・

実は、本日、巡る予定には入っていましたが、なにせ、下調べが充分でなく・・うん?・・あれは?・・って、感じで、向かうと・・・
おおおぉ・・ピンポン・・正解っていうのはこんな時に使うのでしょうか・・・
備忘録記するとき、ググってみると、神社鳥居前の道はかつての旧山陰街道で、丹波から但馬に通じる街道として重要視され、戦国時代も平和な時代も多くの旅人が往来した道でしょう・・・

「α君」を鳥居の前に「P」させていただき・・すれ違い用の待機場所かも?・・・m(_ _)m!

延喜式内社、神田神社 祭神は大巳貴神を祀る
伝によれば大宝二年(702)九月九日、大山谷の石角(住)口に創祀されたという古社である。
神田神社が鎮座する大山の里は、弘法大師空海が開基した京都東寺の荘園であったところで、空海の遺産である綜芸種智院を売却した代金で購入されたというところだ。
承和十二年(845)、大山荘が立荘したとき、神社は大山荘の総鎮守社として崇められ一宮神社と称された・・篠山の歴史・見処を訪ねる-大山上より引用

さぁ、参りましょう・・・・
鳥居をくぐり、上がると、左手に小高い山の上に拝殿が見えます
苔むした石段、燈籠・・いや、すてきな光景です

ハッキリとは読めないですが・・・ええ感じの、燈籠です!
写真左下:明和六年(1769年) 写真右下:延享四年丁卯(1747年)と刻銘されている

拝殿・・・
拝見しましょう・・・中井権次一統と知って見る彫物・・楽しみです
今までは、凄いな!・・って、見ているだけでしたが・・・今日から見目が変わりますよ!・・(*^_^*)

拝殿の注連縄の上部、蟇股 ・・・兎ですね!

では、いよいよ、本殿へ回り込みます 左側からです・・・写真、クリックすると大きくなります!
本殿・・・入母屋造檜皮葺

左側、脇障子です・・・徳利?から酒が出てきそうな見事なものですね!
左側、脇障子の裏にかすかに、彫物師???(柏原住)中井?(言)次君?(音)が判読できます・・
あくまでも、資料があるので、そう思えば見えるのですけどね!
右側から本殿です・・
残念ながら、拝殿と本殿の間は、板で囲まれ、向背の蟇股の彫物は見えません
右側、脇障子・・・

ぐるっと、一廻りして・・・写真撮りまくりましたね(*^_^*)

下図は、素晴らしい彫物の部位を並べてみました・・・・




御神木でしょうか?・・皆が集う、境内です


そうそう、「α君」を「P」した場所、西尾家とありました・・・そりゃ、立派な御屋敷!
ほんと、下調べしていなかったので・・・m(_ _)m

ググってみると・・・国の有形重要文化財
西尾家住宅は江戸時代中期の享保十八年(1733)に建てられたもので、かつて東寺の荘園であった 大山荘の鎮守であった神田神社の鳥居前にある。西尾家は江戸時代から酒造業を営み、庄屋、篠山藩 御用達を務めた旧家。西尾家の銘柄であった『西尾正宗』は、明治四十年(1907)に初めて開かれた 全国清酒品評会で一等賞を獲得した名酒であった。 江戸時代後期の俳人西尾武陵の生家としても知られ、 平成十六年(2004)七月に主屋が国の有形重要文化財に登録された。建物は桁行十二間、梁間六間の 二階建酒蔵で、切妻造の桟瓦葺で妻入とし、街道側の北妻面には高い位置に水切が設けられ、 西面には二段六列の小窓が整然と配置された規模の大きなものである・・・篠山の歴史・見処を訪ねる-大山上より引用


さぁ、次なる、中井権次一統をたずねて・・・参りましょう・・ 





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