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2015年1月12日

千利休・・その屋敷跡、そして、宿院頓宮・・大阪府堺市!

黒田官兵衛の関連でググっていると、・・千利休・・堺市、屋敷跡・・が、堺市観光ガイドの名所旧跡にでてたのです・・・
堺市観光ガイドは、本当に、充実しており、それはそれは、便利で、わかりやすい・・・なにせ、堺市は広い・・よ!
で、その堺市観光ガイドの中で、千利休、屋敷跡は、堺区にありました・・・

大阪府高石市の友人を訪ねる途中に、堺市があります・・ちょっと、寄り道を・・

阪神高速堺線、堺出口で降り、国道26号線、宿院交差点と紀州街道、府道197号線の交わる交差点、宿院・・・よき響きの交差点名です・・
その一筋西を南へ入ったすぐに・・・千利休屋敷跡があるのですが・・・・

おおぉ・・塀を造っている、工事の真っ最中?・・完成間近・・・しかし、この塀が完成したら、Googleストリートビューみたいに、外からは見ることができないかもね・・・(^_^;)

まぁ、折角、来たことだし、金網にいつものようにレンズを差し込み、格子から内部をパチリ・・・
しかし、いまいち、内部がよくわからん・・・

なら、隣のビルのマンフォールの囲いに手頃なブロックがある、よし、それに上がって、上から、感でパチリ・・・(電柱の左側参照・・m(_ _)m)
まぁまぁ、内部がわかる範囲ですが、写真がとれました・・・

塀の工事前に見ることができた屋敷跡は・・・堺市観光ガイドでも、Googleさんのストリートビューでも見ていました・・・!
(写真下:Googleストリートビューより引用)


・・・千利休について・・・堺市観光ガイドの案内より一部、引用
大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。
茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。
椿の井戸・・椿の炭を底に沈めた・・と、ある

堺市も観光事業に「リキ」入れているのかなぁ・・?・・なかなか、立派な門構えの塀で囲まれて・・簡単に内部が見ることができないかもね・・・町の中に位置するのだから、荒らされないように・・名所旧跡の保全のためでは仕方ないね・・!

又、通ることがあると思いますので、立ち寄ってみましょう・・・・

てな、わけで、千利休の屋敷跡でした・・・・

すぐ、そばの・・・宿院頓宮を・・・・
宿院東交差点の角に位置います
いつ来ても大きな通りは、走るのも気持ちいいすね!
初詣の赤い幟がたくさん立っていますね

写真、「α君」・・WizMapキャプチャーです
大鳥、住吉大社宿院頓宮・・拝殿よりお詣りいたします
住吉大社の御旅所としての神社で文化13年(1816年)が始まりで、後に大鳥大社の摂社も遷座、二柱の神様をお祀りしています。毎年7月31日に大鳥大社、8月1日に住吉大社からの御渡りと、飯匙堀での荒和大祓神事が行われます

飯匙堀(いいがいぼり)・・・
海幸山幸の伝説により、潮干珠が埋められたところといわれ、どんなに雨が降っても水がたまらない不思議な場所とされています。


写真左下:境内からみる、鳥居、飯匙堀   写真右下:近づいて、飯匙堀を・・・
境内の西側の道路沿いにも鳥居が建っています・・・
説明板より・・・ 宿院頓宮の空堀・・伝承によれば、海幸山幸神話に登場する「潮干珠」・・海水を干し上がたせる不思議な宝珠・・・を、納め埋めたという神域である かって、形状が飯匙に似ていたとことによるとも言い伝えれている
「堺鑑」貞享元年(1684年)飯匙堀の記述がある・・・ 

堺市の歴史も、なかなか興味深いですね!
仁徳天皇陵のある堺市・・・名所旧跡、古寺名刹、神社・・色々、知るには相当時間がいりますね!・・
堺市へ訪れた際、少しづつ・・堺市観光ガイドのお勧め・・散策、がんばりましょう!


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