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2014年12月3日

熊本城、第一回目・・・九州の旅・・熊本市!

長崎の旅も楽しく終わり・・フェリーで、島原湾を・・約30分で、熊本市へ到着・・

熊本市の宿は、なんと、熊本城のすぐ側・・・・熊本城は明日ということで・・・
その日の夕食は・・・熊本といえば、馬刺し・・・嫁、初めて、私、2回目・・・トライです!
なんとか?・・美味しくいただき・・・・で、グッスリお休み・・・・いたしました・・・

目覚めてみれば、・・なんということでしょう・・長崎市でのあの曇り空から、一変して、青空が・・・わ~い!・・良かった!

熊本城・・・さぁ、今朝も開城のAM8:30から、登城です・・・
あまり、熊本城内のこと、ググっていません・・・いつものように、パンフでなんとかなるやろ・・っと!
いや、実は驚愕のお城だったのです・・・・・

で、最初から、なんですが・・・熊本城の備忘録・・数回にわたるかも・・・ご容赦!m(_ _)m
なぜって、下図ご覧下さい・・この広さ、そして入場口のおじさんが・・まぁ、最低2時間は・・おおぉ!

下の絵図は、案内図パネルより、引用・・・赤丸より登城いたします!
宿から一直線・・須戸門口から登城、いや、入場します
写真左下:茶色のビル・・熊本市役所    写真右下:うまや橋を渡ります・・おおぉ、右奥上、いきなり、重要文化財、東十八間櫓が見えます・・・・
実は、ここで、思わぬ失敗を・・・長塀・・を、見落としたのです!
写真左上、平御櫓の前のバスの向こうに、国指定重要文化財、長塀があったのです・・・それを見落としたのです! !
長塀・・・熊本城の内堀・・・現存する城郭の塀の中では、最長の242mを誇る・・・

左写真:配布パンフより引用

残念ながら・・失敗です(^^;)
写真左下:熊本城入り口・・須戸口門です   写真右下:平御櫓 奥に長塀の一部が写っています
写真左下:ここで、左右に別れます・・左、石垣コース 右、櫓コース・・もち、櫓コースへ・・・
写真右下:国指定重要文化財の櫓群がそびえ立っています・・・・(後ほど説明)

写真下:国指定重要文化財、田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓を仰ぎ見ながら歩いています

写真左下:うまや橋から見えた、東十八間櫓です   写真右下:振り返ります
国指定重要文化財・・東十八間櫓、北十八櫓、五間櫓
熊本城の平櫓
東十八間櫓、北十八櫓、五間櫓・・・

熊本城が築城された慶長年間(1596~1614)・・
櫓四十九、櫓門十八、城門二十九がそびえていたが、明治十年(1877年)西南戦争勃発直前の火災により大半を焼失した
現在、熊本城には焼失をまぬがれた十三の建造物があり、国指定重要文化財に指定されている

不開門・・重要文化財・・
古くから丑寅(東北)の方角は鬼門と呼ばれ、不浄の気の出入りするところと考えられ、門は造るが通常は閉鎖されていた・・
この門の形式は両側の石垣の上に櫓を渡し架けて、その下が門となった櫓門である・・
写真右下:表側から・・
今まで歩いて見上げた、櫓群・・そりゃ、見事な石垣です・・ここだけで圧巻されています
熊本城には焼失をまぬがれた十三の建造物があり、国指定重要文化財に指定されている

石垣下から眺めた・・・(赤丸)
田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓
その道を登りきったところにある・・
東十八間櫓、北十八櫓、五間櫓
不開門、・・(赤丸)

これから拝見する・・
平櫓、宇戸櫓、監物櫓
見忘れた・・
長塀・・


いよいよ、本丸へと・・向かいます・・
写真左下:長局櫓へ・・石垣の上にどんと立ち・・囲まれています
写真右下:入口から奥へ清掃中・・砂ぼこりが舞っています・・
写真右上の門をくぐると・・・なんと・・・・地下通路が・・・

闇り通路・・・
本丸御殿は二つの石垣を跨ぐように建てられたため、地下通路を有する特異な構造となっています。御殿への正式な入口であり「闇り通路」と呼ばれています。
このような地下通路を持つ御殿建築は全国にも例がないといわれています

おおおぉ・・出ました・・熊本城、天守閣です・・・!!
左の大銀杏の木の左が本丸御殿入り口です

天守閣はお預けで、まずは、復元された本丸御殿を拝見します
熊本城は平成19年、築城400年を迎え、その記念事業として本丸御殿を復元いたしました・・と!

御殿の雨には大銀杏が立つ・・加藤清正が築城の際に手植えになったと伝えられが、西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年後、現在の大きさの木に成長したのです。

写真左下:大御台所・・囲炉裏には発掘された当時の一部をそのまま使用
写真右下:本丸御膳・・・申し込めば、本丸御殿二階で当時の献立を再現した本膳料理を食することができるとのこと・・・

現在の本丸御殿は熊本城復元事業計画により、大広間、数寄屋、大御台所を復元したもの

全国的に類のない、闇り通路や障壁画のある「昭君之間」「若松之間」、写真左、写真左上、巨大な小屋組みをみることができる「大御台所」をなどがある・・
大広間・・圧巻です!
玄関口にあたる60畳の鶴之間、35畳の梅之間、28畳の櫻之間、24畳の桐之間が連なる大広間・・鶴之間から各部屋にを繋ぐ回廊は大広間椽ヶ輪や敷板と呼ばれ若松之間、昭君之間、数寄屋へと続いています

大広間椽ヶ輪
長さは十六間(31.5m)縁側の幅は、広縁(約3m)、落縁(約1.2m)、濡縁(1.3m)の計5.5mです
大広間前の庭?でしょうね・・
この庭の石垣・・後で、写真だいますが・・二様の石垣があります・・角、角に、櫓があったのでしょう・・礎石がありますね!

若松之間・・・絢爛豪華につきます!

対面所・・西側の床に間と付書院、南側に備えられた書院造りです
床壁や襖に若松の絵を復元・・天井は折上げ格天井、部屋の欄間は荿欄間です
因みに荿欄間は、細い桟を縦に細かく組んだ欄間です・・・・

昭君之間・・・復元とはいえ、お見事ですね!

付書院を備え、正面床には中国宮廷の物語を描いた障壁画を備える最高格式の設え。
徳川家時代を迎えながら、豊臣秀吉の重臣であった加藤清正の思いを偲ばせる諸説が残っています。
格式の高い昭君之間は、漆塗りの折上げ各天井で、一つの格間が約90cm四方で天井画には金箔の上には様々な植物の絵が描かれています

ここまで、現存する国指定重要文化財の櫓、石垣を、そして、復元された本丸御殿を拝見しました・・・
この熊本城は、天主閣の姿も見事ですが、それを取り巻く石垣群・・
そして、なぜ、西南戦争の直前に焼失したか?・・その秘密、謎をググって、熊本城、天守閣に登りましょう・・・・

と、云うことで、天守閣は次回の備忘録へと・・続きます!






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