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2014年11月27日

柏原八幡宮・・城下町柏原・・兵庫県丹波市!

兵庫県丹波市・・よみがえる丹波竜、そして、旧上久下村営上滝発電所を尋ねました・・!
なかなか、見応えのある渓谷、篠山川でした・・・

さあ、次なる目的地は・・柏原八幡宮・・五年前、嫁と二度訪れましたが・・
しかし、案内板では、八幡宮の名・・しかし、柏原?・・まぁ、ええかぁ・・と、「カーナビ君」の案内で進みます・・ふと、柏原へ着いた時、見覚えが・・おい!・・ここやったのか!・・と!

そう、それは、見覚えのある、丹波市役所柏原支所横の大ケヤキが見えた時に・・・わかったのです!

巨木大好きな私・・この大ケヤキ・・・これで、三度目になりましたね!
樹齢千年の大ケヤキの根が、幅8mの川を渡る橋のように見える「木の根橋」・・・
根が張り出した南隣り(写真左下:左側建物)に、木造二階建ての洋館は丹波市役所柏原支所(旧柏原町役場)です
根が川を渡っている姿を・・・写真左下:横から 写真右下:幹に向かって・・・

高さ16.3m、枝の広がりは20m超、根本の周囲は2.5mです・・・勿論、「木の根橋」は県指定天然記念物です・・・
なんど、見ても、いいですね!・・緑の葉が繁った時、来ましょうかね・・・は~い!

その「木の根橋」の前には、織田神社が・・・あります
この城下町、柏原町・・・柏原藩であり、織田信長の弟、信包から始まり信勝、寛永七年(1630年)藩主となる、慶安三年(1650)死去し継嗣がないため、前期柏原藩は絶家。その後柏原はしばらく天領となっていましたが、信長の次男、信雄の子孫がここに国を移され明治まで10代続きました。前期柏原藩で3万6千石、後期柏原藩で2万石と小藩であったと・・・・Wikipedia引用

さぁ、大ケヤキのすぐ近くに位置する、柏原八幡宮へ・・・・
写真左下:第一の鳥居  写真右下:鳥居の柱の繋方、下部、石柱、柱、円柱で組んである
写真左下:参道から見下ろす、大ケアキ「木の根橋」、丹波市役所柏原支所、鳥居、イチョウの葉・・人影がなく、車、少なく・・う~ん!、いい景色です

写真左下:参道です・・長い、石段を上がって行きます 奥は社務所です 
写真右下:第二鳥居です・・鳥居、拝殿、本殿、三重の塔・・と、一列に並んでいます

平安時代の万寿元年(1024年)に石清水八幡宮の丹波別宮として創建された、 祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神巧皇后)、姫三柱之命。  安土桃山時代再建の複合社殿(本殿と拝殿)が国の重要文化財に指定されている。
本殿及び拝殿(合わせて1棟) - 安土桃山時代(天正13年・1585年)築、国の重要文化財
拝殿は入母屋造妻入、正面唐破風付き、檜皮葺
本殿は三間社流造、檜皮葺

奥に見える三重塔は、江戸時代後期再建で、神社境内に塔があるのは全国で18例のみである

三重塔へ向かいます・・おや?

三重塔の二層目に作業服の男性・・
石段には、スマホ触っている男性・・
なんでも、尋ねる私・・
・・・修復中ですか?
いえ、建築学科の生徒で、この三重塔を内部、実測して図面をおこす為の作業です・・

全員、建築学科の生徒で十数人いますね!
私・・いいですね! 貴重な三重塔へ入れて、それも、二、三層へ登れ塔内を拝観できるとは・・

授業とはいえ貴重な体験ですね・・・・(*^_^*)
学生が帰った後、誰もいない、三重塔・・・

銅鐘・・兵庫県指定文化財 豊臣秀吉が大砲を鋳造する材料として集めたものの一つと伝わる。康応元年(1389年)と天分12年(1543年)の二つの年号が刻まれているのが特徴Wikipedia員引用・・
よく見ると、丹波国氷上郡、高山寺と刻銘がある・・・
厄除開運の鐘です。三つ撞いて難を遁れて下さい・・と、あります!
・・勿論、三つ撞いて難を遁れてきました・・・!

狛犬です・・・柏原が生んだ名工佐吉村上源照信が文久元年(1861年)刻んだものです
写真右下:阿像(雄)
写真左下:吽象(雌) 写真右下:雌の尾っぽから背中です・・銘も見えます
非常に繊細に刻まれています・・・153年前のものとは思えない美しさです・・・

拝殿、唐破風・・装飾の彫り物は、なにを彫っているのか?・・
絵馬殿・・写真左下:文政二年(1819年) 写真右下:嘉永七年の文字も読めます
さぁ、降りてきました・・・「P」の横に・・・
写真左下:神輿お旅所・・と、  写真右下:「P」です・・勿論、無料ですよ!


さぁ、次なる目的地・・・春日局生誕の地・・興禅寺へ・・・


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