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2014年10月30日

堺市唯一の国宝、櫻井神社・・大阪府堺市!

大阪府河内長野市、観心寺を訪れた時、教えていただきました・・櫻井神社!
櫻井神社・・・堺市で唯一の国宝の拝殿がありますよ・・っと!

貴重な情報をいただいて、はや、三ヶ月が経ちました・・
所用で、堺市まで、来ることになりました・・忘れませんよ!・・・国宝、櫻井神社・・・

「カーナビ君」に目的地を入れ、走ります・・時折、伺った地域・・・泉北高速鉄道、泉ヶ丘駅から僅か・・
しかし、時折、この地に来たわりには、その時代・・全く、知りませんでした!

さぁ、神門から入りましょう・・・「P」は神門の前にあります・・・

境内の案内表記から・・・・・
ご祭神は、仲哀天皇、応神天皇、神功天皇で、上神谷八幡宮とも称せらています
当社は、延喜式内社で、古くから公武の崇敬がありました
天正五年(1577年)織田信長の根来攻めの兵火にあい、社頭は一時荒廃しますが、江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵などが再建されました。

神門・・元禄十五年再建とあります 
写真左下:神門境内の右にあるお百度の石柱、安政?と読める ・・1855年頃・・
写真右下:手水鉢、宝永・・?と読める ・・1704年頃・・
国宝 櫻井神社拝殿・・・
この拝殿は神社の祭礼を行う建物で、建立は鎌倉時代前期と推定される。 中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹梁蛙股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。 神社拝殿最古の遺構として、貴重な建物である・・・案内板表記より引用
拝殿裏側から見る・・・背面の向拝部分は国宝指定外である・・増築?
内部は馬道(めどう)と呼ばれる通路から見る・・・
中門から本殿を眺めるが、見えないね・・!
神輿庫・・享保十六年(1731年)再建
神輿の説明が神輿庫の戸に押しピンで留められています

庫内安置の神輿は木造黒漆塗・・
元文三年(1738年)修補の社伝あり。
蟇股、垂木等欠失、飾金具破損の状態・・
平成十一年補修完了・・

堺市保存樹 もみの木・・樹高10m?
ふるさとの歌まつり 出演記念NHK奉納・・・
国の無形文化財、こおどり鬼面・・・ 
昭和四十四年堺市民会館
ふるさとの歌まつり 出演記念NHK奉納

鉢ヶ峯氏子
写真では、解りづらいですが、なかなか、迫力満点の赤鬼、黒鬼です!
毎年10月第一日曜日の秋祭りに奉納される「上神谷のこおどり」は、中世の風流踊りの影響がうかがえる神事舞踊であり、国選択、大阪府指定無形民俗文化財に指定されています。

かつて和泉地方に多く見られた雨乞い、雨礼踊りとして行われたものですが、秋祭りの芸能としても毎年行われていたようです。國神社が、明治43年(1910年)に片蔵の櫻井神社に合祀されてからは櫻井神社の秋祭りで毎年の10月第1日曜日に演じられています。(堺市ホームページより引用)

私感ですが、この地域は、数十年の時をかけ、泉北高速鉄道沿いに住宅開発が進み、広大な住宅が広がっています・・・勿論、大阪市への通勤、ベットタウンです!
その中、開発から逃れた、周辺の昔からの地に、このような素晴らしい神社、文化財があったのですね!

大阪府堺市・・大鳥神社伺いましたが!・・もっと探訪もしてみようかなぁ!!




2014年10月27日

ひめじ官兵衛まち歩き観光MAP 随願寺・・・兵庫県姫路市!

増井山随願寺・・・播磨天台六山の一つ、史料では増井寺とも記されていると・・
・・・播州地方の最古の古刹です・・・

黒田官兵衛ゆかりの地、廣峯神社の東近く・・・廣峯山、増井山と両山が隣り合わせのです
姫路城から向かうと白国の信号から直進が廣峯神社へ、右折して向かいます
・・・「α君」、駆け上がる道も広く、快適な道です・・・

時間がやや遅く、夕刻間近・・・やや、薄暗く・・・人、だれもいません
・・・ひとり、ゆっくり、拝見させていただきました・・・

寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749年)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが、天長十年(833年)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。 天正元年、別所長治に攻められ、全山焼失、同十三年秀吉が再興したと・・・
姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺として、再建、整備に尽力したとある

本堂・・国指定重要文化財・・・堂々として、どっしり構えておられるのが、第一印象です!
桁行七間、梁間六間、入母屋造本瓦葺き
大鬼瓦銘に「元禄五年(1692年)の篦書銘がある。様式的にも元禄時代の代表する建築の一つです。
唐様に従った細部が多く、技法的に丁寧な造りである(説明板より引用)
・・・写真 鬼瓦、写っていません・・・切れています・・・(^^;)


経堂・・・国指定重要文化財
桁行六間、梁間三間、撞木造本瓦葺き
平面的には正堂と礼堂を並べた形式の堂が変化したのので、正堂に磚敷きを残しているこなどから、延暦寺根本中堂などの磚敷きの正堂の名残を留めている


磚敷き?・・・ググってみました!
中国で粘土を型で固め,焼き,あるいは乾燥させて作った灰黒色の煉瓦。漢代に発達し,城壁・家屋・墓室の構築に用いられた。日本でも飛鳥時代の寺院跡や鎌倉時代の唐様建築などにみられる・・・ふ~ん! やはり、唐様式なんやね!・・・(Wikipedia引用)


鐘楼・・・国指定重要文化財 
袴腰付 桁行三間、梁間二間、入母屋造本瓦葺き
享保三年(1718年)建立、廻縁付の正規の袴腰付鐘楼です 

手水鉢・・・寛文五年(1665年)・・英賀神社の手水鉢といい、すばらしい!
同じところで、昔の人々が手清めていたと想像すると、エエもんですね!

奥の院、開山堂・・・国指定重要文化財
正面三間、側面三間、背面一間、通り下屋付
平面では仏檀の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へ間半分ずらしている。
石燈籠は承応三年(1654年)の銘をもつ二基あり
随願寺に現存する建造物の中で最古のものである・・・と、表記あり

榊原忠次墓所唐門・・・国指定重要文化財
正面一間、側面一間、向唐門、本瓦葺き、享保十六年建立

榊原家は徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つと数えられた。中でも忠次(1605~1665年)は文武両道に優れた人格者で、姫路城主として17年間に隋願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。


写真右下:榊原忠次墓所の両側に、本堂の間にもある石垣の山・・・火除山かなぁ?

紅葉に季節到来です・・・1本だけ紅葉、紅葉越しの開山堂です

「P」です・・・どんと、バスのスペースに停めていますね(*^_^*)
時間が時間だけに、「α君」一台だけと思ったら、写真、左上奥・・・自動車教習仮免で車庫入れ練習中
ここまでの道はカーブの連続で、良い練習になるでしょうが、いやはや、こんな人気の無い山の中の「P」でね!・・う~ん?

嫁も息子も家電量販店の大型「P」で練習させたね!

・・・帰りの坂道降りるとき・・・夕日が沈む前、逆光で、浮かび上がる姫路城北側の姿、綺麗でした
・・・残念ながら、「α君」停めることができず、パチリも不可でした!

姫路市、いや、よく来ましたね・・2017年3月27日? 姫路城50年に一度の改修が終わり、いよいよ公開です!
入場料、お城では日本一高い1000円らしい・・・いや、2000円でもいいのでは・・・私感です!
それだけ、価値があるとおもいます・・・これから何度、訪れることでしょうか?

次の50年後の改修の折には、私、この世にいませんが!
御着のガイドさん、前回の昭和の大改修をご存じで、坂を木々を押していた光景をご存じでしたね!
うん?、今、御歳は?・・・まぁ、深く詮索はしません

では、次なるひとり旅は・・どこでしょうかね!


官兵衛ゆかりの地・・英賀、英賀城跡・・・兵庫県姫路市!

官兵衛ゆかりの地・・妻鹿、国府山城跡、訪ねました・・・更なる訪問地!
官兵衛ゆかりの地めぐり、コースNo21・・英賀です!

「英賀城本丸之跡」は石碑が街角建っているのみです!
岩繋城ともいう、南は海、西は夢前川、東は水尾川、北は湿地帯で守りには都合のよい城であった。鎌倉時代はとりでが造られたが、室町時代には赤松氏一族が守った。しかし、嘉吉の乱によって勢力を失い、三木氏が城主に・・・
英賀城は、播磨国英賀(兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)にあって、別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と称された。

天正六年(1578年)、別所長治の三木城落城に続き三木通秋が籠もる英賀城も天正八年(1580年)に落城した・・・案内板説明文引用
左図:案内板より引用 図上の赤帯は土塁跡・・
左青丸、本丸跡 右青丸、英賀神社

では、英賀城土塁と石碑がある、英賀神社へまいります
社記によると、播磨国風土記にある英賀彦神・英賀姫神社祀る古い神社で、町名の由来もここ。
大鳥居は、延宝八年(1680年)
天満宮は嘉吉年間に完成したとみられ、境内には寛文七年(1667年)銘の手水鉢(写真右下)や、寛政六年(1794年)の狛犬があります
拝殿には、絵馬が多く、江戸期の絵馬も多く残っているとのこと・・・
写真下:神木竹伯(なぎ)・・・竹伯はマキ科に属し景脈が平行で竹の景に似ている珍しい木!
根周り3.8m 高さ14.5m 樹齢千年以上と推定される 昭和十一年三月天然記念物に指定
しかし、惜しくも令脈つき、昭和三十年代に枯死し今はその横の第二世が育ちつつあると・・・
英賀城土塁の石碑・・・

土塁の位置は境内の奥(白枠) 写真右下:土塁を神社の外側からパチリです
写真左下:本殿を土塁側から、パチリです
写真右下:神社前の道路に居座っている立派な石燈籠・・文政二年(1819年)天満宮とある・・・
この道が参道だったかもね、しかし、玄関、ガレージの真ん前にあります!・・いいですね!
神社の北側?には、英賀城跡公園があります・・・看板、小さいです(これしか見つからなかったよ!)
公園内の真ん中に城跡らしく、模擬石垣が作られていますね・・・
写真左下:英賀城、説明板   写真右下:公園の隅に「英賀城、野中口跡」の石碑・・
英賀城は、交易の盛んな港のある城下町(四十九町、約九百軒)と大いに賑わったと・・・
昭和30年ごろまでは土塁が残ってはいたが、夢前川の付け替え工事でより、消滅した・・・

官兵衛ゆかりの地めぐり、コース・・御着、妻鹿、英賀・・と、巡ってきました!
大河ドラマ黒田官兵衛のお陰で、播磨、姫路という地をより良く知ることができました・・

いや、ほんと、一人旅は、ブツクサいいながらの旅でもあります・・・続きますよ!!