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2014年7月14日

三田城跡、屋敷町付近を・・・兵庫県三田市!

三田市街・・ウロウロしています?、そして、一年に一度、夜、ウロウロしています!
ひょんなことから、三田城跡の近くまで・・来てしまいました!

三田城跡・・校門、前を時折、通っていました・・が!・・黒田官兵衛、荒木村重関連から・・気持ちを新たにと・・三田城跡から、近辺・・「カーナビ君」頼りに、走り、拝見いたしました!

県立有馬高校付近は、天正年中(1573~)伊丹有岡城主、荒木村重摂津守の部将、荒木平太夫の居城・・・
のち山崎堅家、有馬則頼、松平重直、そして寛永10年(1633)九鬼久隆と城主が代わる・・
三田小学校付近は、九鬼藩主の居館、現校舎地下に御台所跡が保存されている・・七曜橋下が大手門筋
・・三田市、歴史の散歩道 案内板より引用

ここで、うん?・・荒木村重摂津守の部将、荒木平太夫・・部将?、武将じゃないの?・・って!
こんなところで、知識の無さが出てきます・・お恥ずかしいm(_ _)m
うん?と、思えば、ググってみます・・・武士のうち部隊を率いる立場のものを、部隊の将すなわち部将と呼ぶ!
一定の部隊を率いるものを部将と言う・・武将とは、軍を統率する者のうち武道に秀でた者のこと・・と、・・なるほど!!

三田城跡、石碑が建つのは、三田小学校正門?横・・そして、そこから、眺める、九鬼資料館あたりがの筋が大手門筋か?
石碑の側には、古図と、説明板があり、そして三田藩十三代最後の藩主、九鬼隆義の説明板があります!
廃藩置県により、三田藩知事となる・・と、あります!

丁度、小学校下校時で、「α君」を停めて、ウロウロできず・・・監視員さんの目が・・で、さっと、流してしまいました!

道路を挟んで反対側が県立有馬高校となっており県立有馬高校側にも、同窓会から寄贈された、説明板が・・・
そこから、堀?と思われるところを・・パチリ!
下の方に案内板(赤丸)が見えたので、歩いていき、確認すると・・・

左図:左上の古図拡大

中央二重赤丸が案内板の場所
右下黄色四角:九鬼兵庫の屋敷、現在の三田カトリック教会(後述)

左隅中赤四角:金心寺
古図の道、現在もほぼ、同じ道、町並のようです!

注意:金心寺は明治2年後に現在の地に移っているため、古図は明治2年以降の作か、同窓会寄贈だから、現代に模写したものに金心寺の絵文字を書き込んだのだろう・・!
三田小学校前にある三田城跡の石碑の横にある、三田古地図のほうが、古地図(模写)そのものみたいです・・・(上部参照)

右上の写真:赤丸が案内板・・左下写真・・
県立有馬高校と三田小学校との間にある道沿いの濠は、本丸館と二の丸との境の堀であったと・・・!
三田が門前町として開けてきたところだと云われるのは、奈良時代に「金心寺」という大寺があったとのこと!(古図、左端中に見えます)
城跡から、屋敷町一帯から古瓦や礎石・中世の石造物が出土されている・・と、ある・・・・

大手門筋?を降りて行くと、旧九鬼家住宅資料館が右手に・・・

おや? 休館日や! 残念!
で、その道路の前には、三田博物館跡の石碑が・・・・
我が国初の民間博物館の遺構であると・・・・九鬼隆一氏の主唱により、大正三年に開設されたとある!
そして、その前の路地?を・・「カーナビ君」屋敷町と表示されているので、進むと・・・

三田カトリック教会が・・・・昭和27年に献堂されたと、そして江戸時代のころ、この敷地は三田藩家老、九鬼兵庫の屋敷跡で司祭館や門構えに伺える・・と、ある 三田市、歴史の散歩道 案内板より引用

九鬼兵庫の敷地も上記、古図に(黄色四角)ありますね・・・・

この付近、見渡すと、屋敷町の町名どうりの雰囲気!・・・そんな、雰囲気の御屋敷が並んでいますね・・う~ん! 時代劇や!

帰宅して、三田市の「ぶらり歴史めぐり、街めぐり」なる案内パンフ・・知りました!(下図一部抜粋)
・・・赤丸は、備忘録(続きも含む)で記したところです
三田城の歴史には・・・藩主九鬼家、そして、白洲退蔵が出てきます 近代は白洲次郎へと・・・繋がりますが!  
備忘録は、三田城、黒田官兵衛、荒木村重関連から始まっていますから・・・です!

「ぶらり歴史めぐり、街めぐり」なる案内パンフを、ゆっくり、拝見して、再度、ぶらり歴史めぐり・・してみます!
近くに住みながら、知らないことばかり・・・遠くの観光地より、近場を知ることが大事かなぁ・・なんてね!

では、金心寺、ちょっと大昔?から知っている、心月院へ・・・参りましょうか!!




備考:文中・・三田市、歴史の散歩道 案内板、ぶらり歴史めぐり、街めぐりより引用いたしました!、




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