静寂の地に世界最古の庶民のための学校・・・ 「特別史跡 旧閑谷学校」 なんです!
特別史跡・・・
史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの、つまり、史跡のうち特に重要なものとみなされ、日本文化の象徴と評価されるもの 2013年10月17日現在、61件が特別史跡に指定されている(wikipediaより引用) 代表的な例として、姫路城跡、平城京跡など・・・
高梁市にて、備中松山城、市内散策を終わり・・急ぎ、備前市 旧閑谷学校へ「α君」走ります
この、旧閑谷学校・・山陽道備前ICと和気ICの間に北側に位置し、この区間を通過するたび、「旧閑谷学校」の看板が見えるのです!
岡山市、広島市へ数回訪れています・・・ただ、通過するだけなんです・・
しかし、今日は、最初から、備中松山城、旧閑谷学校・・へ行くと、計画していました
岡山道、山陽道・・・「カーナビ君」・・備前ICから、行くルートを・・・・
しかし、手前が和気IC・・・先の備前ICから逆に戻って行くルートなんて・・キライです!
「カーナビ君」・・多分、時間的に早いからでしょうが・・・・逆らってみますね!
和気ICを降りて、県道96号線を金剛川に沿って、走ります!・・「カーナビ君」の道案内どうりにね!
一応、ググってきています・・・閉館時間・・PM5:00です・・・
はい、到着しました・・・PM4:00です・・間に合いました・・でも、日が暮れるのが、はやいから・・ね!
「P」についたら、「えぇ・・」・・凄い車の台数・・50台は停めている・・こんなに観光客が・・?
すごいなぁ・・と、思いながら、歩いていくと・・・
おぉ・・壮観な全体像が・・見えました・・
見えるだけで、門が三つもあります・・ (写真は二つ!) 勿論、真ん中から・・行きます! 右端の門、校門です・・真ん中です! 左・・公門です! |
いきなり、二つも、重要文化財!・・泮池、案内板の説明では・・・
中国上代の諸侯の学校である頖宮の制に擬してつくられたものと・・・半円形が普通だが、旧閑谷学校は幅7m長さ80mである! その水路、重要文化財の石橋をわたれば・・ まっすぐ延びた路は・・・校門へ向かっています! (写真左下:石橋から左へ、写真右下:反対側から石橋を) |
この門、学校の正門で鶴鳴門と呼ばれ、旧閑谷学校の門の中で、唯一、鯱を乗せています その門のまっすぐ奥に孔子をまつる聖廟があります (写真左下:表通りから 右下:敷地内より) |
受付済ませ、振り向くと・・「おぉ!!」・・広大な芝生の右奥に国宝、講堂が・・・・
なんといっていいでしょうか、この景色!
写真右上・・・閑谷神社、聖廟が並んだ正面から写真を・・・・
まず、右手が「閑谷神社」、重要文化財です・・・
その左手は、「聖廟」、重要文化財・・
この聖廟の門の前の両側に、「楷の木」が対で植えられています・・
今の時期は、葉は落ち、枝のみですが、秋の紅葉は、非常に美しいと・・ググってみると、写真、見事です!
(上部、写真、正面からの聖廟の前にあります)
聖廟から眺めた芝生広場の向こうの校門と手前、両側の枝が、楷の木です(車見えます?・・凄い台数でしょう?)
再度、校門、重要文化財・・
両脇に花頭窓のある付属屋をつけるなど中国建築様式を模しており、貞享3年(1686)に建てられました
さて、校門をから、左右に延びる石塀・・なんと、校地を取り囲んでおり、その長さ、765m・・・
南側、東西の石組は「切り込みはぎ式」・河内屋治兵衛を頭領とする石工集団によって築かれたもの 内部に洗浄した割栗石を詰めて、排水を助けており、300年を経ても今も、端然たる姿です・・ 写真左:石塀の向こうに写っている車・・・多いでしょう! |
さぁ、いよいよ、国宝、講堂です・・
いったん、こけら葺きの屋根を造った上に垂木ごとに漆をかけた一枚板を張りその上に備前焼瓦を乗せるといった手の込んだ造り、雨水に帯する万全の対策が施されています 錣葺き・・ 大棟から軒まで一枚の面ではなく、一段の区切りをつけてすぐその下から軒までを葺く形式、その葺き方のことを錣葺き(しころぶき)という(Wikipedea引用) |
材料の吟味と施工が入念になされており、今日に至るまで一分の狂いもないとのこと・・・
東側の額は「克明徳」と書かれています
講堂内・・花頭窓からの日あかりで、反射してる床も、江戸時代から今にいたるまで、ここに座った生徒達によって拭きこまれたものです! ・・・美しい光景です・・・
これに、座して、講義を聴くのでしょうかね?・・
床に用いられている材は、栂で、天井は張っておらず、太い自然木が見える野天井である・・ |
「斯爐中炭火之外不許薪火」・・この囲炉裏は炭のみで、薪はダメ・・って意味かなぁ・・ |
見事な木組です・・おもわず、パチリです・・ |
小斎・・重要文化財・・
小斎・・延宝5年(1677)に建造されたもの 藩主臨学の際の御成の間である この建物だけが、こけら葺きで現存する建造物の中では最も古い姿を残している 写真左下:講堂側から、内部 |
公門・・重要文化財・・
本柱の後ろに控え柱を二本建てて切妻屋根を乗せ、薬医門様式の建物、元禄14年設置とある・・
表側から、先ほどの習芸斎・・重要文化財・・
さらに隣接した、飲室・・重要文化財・・教師、生徒の休憩室
さらに、飲室の左手には・・・文庫・・重要文化財・・
では、資料館へいきましょう・・・
その路には・・火除山・・
その側を左には、ずっと続く、石塀・・見事な、光景です・・・
その前が、登録有形文化財、閑谷学校資料館です・・
さぁ、日が陰り、暗くなってきました・・PM4:45です・・まもなく、閉館です・・・
きた道を逆に戻りましょう・・
石塀を右にみて、山には紅葉が・・・ 残念! ほんと、この石塀の凄いこと・・・ 感動しています |
出口にて、お聞きしました・・実は、閑谷学校内は観光客2~4人・・・
あの車の台数は・・・県青少年教育センターがあり、そこでの研修へとのこと・・・
なるほど、謎が解けました・・・(*^_^*)
では、表側を石塀に沿って歩き・・帰路へ・・・
校門を、公門へ、石塀の角に沿って曲がり、飲室門・・へ、見事です
車で4分ぐらいかなぁ・・走ると、左手に・・ぽつんと・・ありました!
数度にわたる埋め立てにて、現在はおよそ、3分の2が地中に埋もれています・・・
旧閑谷学校・・藩直営の学校、初めから、庶民の学校、地方リーダを育てる学校として、寛文10年(1670)に創建されました
天下の三賢候の一人と呼ばれる藩主池田光政が重臣、津田永忠に命じたのである
講堂とする建物が完成したのは、池田光政の死後、元禄14年(1701)2代目藩主綱政のころです
1.現存する 2.庶民を対象とした 3.学校建築物 として世界最古です!!
閑谷学校、全体が、国宝、重要文化財・・ばかり、ぜひ、後世に残すべき、残さなければならない、 圧巻され放し・・暗くなるなるのも忘れ、見入ってしまいました・・ 又、緑の芝生の絨毯の旧閑谷学校を・・・ そして、備前焼瓦で覆われた建物を・・ 今回、日暮れにも近く、赤い備前焼瓦が残念ながら今一、色栄えず・・・・次回、緑の芝生の絨毯と、赤い備前焼瓦、観たいものです! |
備中松山城、高梁市内、旧閑谷学校・・・一人旅・・満足しています・・・
さぁ、帰りましょう・・ライト点灯で走ります・・・
追記:文中年号、元禄14年・・・頻繁に出てくるね・・・関係ないけど、赤穂浪士の討ち入りの年ですね・・!
走向距離398km 平均燃費 22.4km/L・・まぁまぁかなぁ・・お疲れ!!
※文中文言、閑谷学校パンフ、Wikipedeaより引用いたしました
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