ページ

ページ

2013年11月25日

大阪、天王寺・・四天王寺さん!

雨、土砂降りのなかの・・四天王寺さん・・です・・長文、写真多々・・

大阪府、大阪市にて長らく仕事をしてましたが・・大阪市の観光など、考えたこともなく・・!
「四天王寺さん」、何度も、「石ノ鳥居」前も通りましたが・・一度も訪れることもなく・・!

今日・・ほんの近くまで、所用のため来ました・・又々、「そや!・・四天王寺さんや!」・・と!
そして、「なんでか!」・・備忘録にも記しました、難波宮跡・・上町台地の北側に・・その南側にあった「四天王寺」・・
こんもりとした、小高い上町台地から見えたのではと、説明員さんのお話を・・・思い出したのです!

待てよ?「四天王寺さん」・・聖徳太子・・確か、1400年前の推古元年(593年)に創建と伝えられています!
前期難波宮は652年遷都をしたのだから・・・「四天王寺さん」のほうが先に?・・そりゃそうやろ!・・聖徳太子さんやで・・・ なにか、頭、もう、混乱している!・・

谷町筋を南下してきました・・「四天王寺さん」の南側・・南大門の前に「P」が・・・
「P」に「α君」を停め、さぁ・・っと、思いきや、「ぽつり、ぽつり」と・・雨が・・いやな予感!!

本来なら、重要文化財・・石ノ鳥居から入るのですが・・
しかし、そんなこと、お構いなしに、傘持って・・南大門から入りましょう・・・
和宗総本山・・四天王寺・・
聖徳太子が、鎮護国家、衆生救済のため、仏教の守護神である(持国天、増長天、広目天、多聞天)を安置し、建てられたと伝えられています
日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、宗派は「和宗」その総本山です
そして、聖徳太子建立七大寺の一つとされている
七大寺は、法隆寺(斑鳩寺)・広隆寺(蜂丘寺)・法起寺(池後寺、尼寺)・四天王寺・中宮寺(尼寺)・橘寺(聖徳太子生誕地)・葛木寺(尼寺)である
そのうち、・・法隆寺、橘寺・・備忘録!、遷都、飛鳥を訪ねるにて・・伺いました!

残念ながら、境内地図は、印刷してきてません・・・で、案内板を見て・・拝観道順を決め・・・いざ・!
「四天王寺さん」へ・・・
南大門から見て・・・仁大門・五重塔・金堂・講堂と、一直線で結ばれ、その周りを廻廊が・・・
その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、日本では最も古い建築様式の一つとのことです!

雨のせいか、寒いせいか、人影もまばら・・カメラ撮影、拝観には、最適・・なんですが・・
南大門をくぐり・・その前には、仁王門・・私、一人なので、集中的に睨まれているような・・

その石畳の上に・・熊野権現礼拝石が・・・
平安・鎌倉時代に盛んであった熊野詣りの道筋は、京都の宇治から、大阪天満まで淀川を船で下り、天満から、「四天王寺さん」、住吉大社、和歌山、田辺を通るもので、熊野街道と呼ばれた・・
人々はまず、「四天王寺さん」に詣でて後、ここで熊野の方向にに礼拝し、熊野までの道中安全を祈ったといわれていると、あります!

へぇ~!・・いきなり、感心ばかり・・そういえば、先日の備忘録の和歌山城付近の道にいまでも熊野街道と名がありました!
住吉大社・・ほんと、「四天王寺さん」と同じ・・よく、側を通っていましたが・・・未だ・・はい!・・近々伺います!

仁王門から廻廊沿いを西へ・・・その左側には・・満燈院(紙衣堂)が・・・
その由来は、紙衣佛をまつるのは我が国では、此処だけである・・この羅漢は難病に苦しみながら紙の衣を着て修行したと云われています
病気になやむものが、自分を念じたならば、必ず、治してやろうと、誓願をたてたと伝えられ、今も病気平癒祈願の方が多いとのこと!

又、廻廊沿いに・・左手に極楽門が・・
通常ならば、奥に見える、重要文化財の鳥居をくぐり拝観するのだが・・
雨もそこそこ降ってきました・・御門の中から、ご無礼を・・・
極楽門にある、転法輪を回し・・・法輪とはお釈迦様の教えが他に転じて伝わる輪にたとえられたもので、仏教の象徴です
合掌し、「自浄其意」(心が清浄になりますように)と唱えて右に回します・・はい!・・仰せのとうり・・!(写真右上)

振り返れば、西重門から、五重塔、金堂が・・・さぁ、行きましょう・・!
拝観料をお支払いし、伽藍の内へ・・・ほとんどが、第二次世界大戦後に再建されたものではあるが、見事です!
勿論、最初は、五重塔へ・・この五重塔は内部が拝観できます・・
壁一面に・・仏画が・・山下摩起画伯の筆によるものとのこと!
内部は、螺旋階段があり、登れるみたい・・・登ると、そこは、五重位牌が並び、永代供養されています・・

すみません・・永代供養とは知らず、多分、五層まで、登りましたが、・・
お邪魔しました・・・・

窓から、若干下の様子は見えましたが・・・

そして、金堂へ・・・
入母屋造で屋根は上下二重、中門、講堂と同様、錣葺とし、鴟尾を乗せる・・
本尊救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)像、向かって左に舎利塔、右に六重塔を安置し、仏壇周囲に四天王像が立ち、内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています(Wikipedia引用)

五重塔からのパチリですが、アングル、入りきれません・・!

金堂を出て、伽藍回廊を右回りに、講堂へ・・・
その途中に「龍の井戸」が・・・
この井戸は天竺(インド)へ通じていると伝えられている・・
すみません、説明板文字判読できません!
廻廊を巡り・・講堂へ・・
講堂・・入母屋造単層・・扉閉じられ、中、薄暗く・・内壁には、仏教絵柄が描かれています

雨・・激しくなってきました・・でも、伽藍の内は今、独り占めです!!
講堂を出て、すすみます・・・東重門の手前あたりで・・遺跡が・・・
説明板より・・・一部引用・・金堂の雨落葉の排水目的としてつくられたものと考えられるとのこと!
廃瓦を両側に、上部に奈良時代の平瓦を覆った極めて簡単な構造のもので、千二百年もこの姿で保存されていたということは非常に珍しいことであると・・・

はい、一回りです・・・その途中・・後ほど伺う、太子殿の「猫ノ門」「奥殿」が・・・
そして、写真右上・・仁王門から、南大門を眺めます・・・雨に濡れた石畳・・よき、感じに撮れました!

では、これからは、石舞台へ・・・その途中に・・北鐘堂が・・雨、さらに激しく・・・

このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ
正式には、 北の引導鐘(ひとつ鐘)と呼ばれています
石舞台・・重要文化財・・へ・・その前に「亀の池」が・・・「亀の池」から六時礼讃堂をパチリです!
「亀の池」・・・残念ながら、「亀」・・いません?・・
寒いから?・・出てきていません・・残念!!


石舞台・・重要文化財・・・

「亀の池」の中央にある石舞台は「日本三舞台」の一つとされ国の重要文化財であります!
「日本三舞台」は、その他は「住吉大社の石舞台」、「厳島神社の平舞台」・・備忘録に記しましたね・・宮島、厳島神社!!

六時礼讃堂(六時堂)・・重要文化財・・
中心伽藍の講堂を背後に位置する建物・・戦火を免れたと聞きましたが・・入母屋造、瓦葺き

ここで、事件を目撃・・・
中国?台湾?の観光客の若い男性・・・
おみくじを引いたのか・・・そのおみくじを・・・
なんと、献灯のろうそくで火をつけ、燃やしてろうそくの台に入れたみたい・・係員のおばさん・・発見したようで、「ダメです・・」って・・きつく、言っていました・・

観光客、状況、解ったらしく、手を合わせて謝っていました・・・なに、すんねん・・おこるでぇ!

六時堂から、眺める・・石舞台、北鐘堂、楽舎、講堂、五重塔、そして、今、建築中の「あべのハルカス」・・300mの高層ビル・・すごね!
なにか、不思議やね・・・古代と最新タワービルが・・・ね!(写真左下:左隅に太鼓楼がチョコッとね)
亀井堂から東大門を・・・
亀井堂と、楠木・・大阪市保存樹・・指定第2号・・高さ15.3m 幹周り3.4m・・立派です!
写真右上:楠木の右下が亀井堂です

宝物館・・・休み?・・閉まっています!
その建物のまえに・・・長持形石蓋が・・・そして、石の鳥居の笠石(部分)が・・・
その奥に、府指定有形文化財・・「四天王寺の石槽が・・・
元は、西大門の手水鉢とのこと・・・中世の石造遺品である・・と!

聖霊院・・太子堂へ参りましょう・・・
その道すがらの御門・・「猫之門」(写真左下)・・雨、土砂降りです・・・
写真右下:虎ノ門

聖霊院・・太子堂・・・
聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、正式には聖霊院と云われます

そして、太子堂の縁廊をすすむと、太子堂奥堂が・・八角で、永代供養が地下でされています
雨もさらに激しく・・・太子殿をでて、南鐘堂へ・・
その左手に太子井戸屋形が・・・・その左に唐門が・・
門戸を見れば、葵のご紋が・・うん?・・徳川家??専用入り口門??・・あくまでも私見!!
写真左上:南鐘堂・・・正式名称は、鯨鐘楼・・・
さぁ、雨も激しい・・裾、ずぶ濡れ・・・でも、なんとか、一廻りできました・・だれもいません・・・(-_-;)
本来なら、人々で賑わうのが似合う・・「四天王寺さん」!・・又、来ましょう!

今回の備忘録・・・写真だけでも数多く・・・悪天候のため、写りイマイチ・・・まぁ、ええか!

「α君」に乗り込み・・帰途へ・・雨激しく・・皆、ライト点灯して走っています
上町台地を北へ・・安全運転で帰りましょう・・・・

備忘録文中、一部説明は、Wikipedeaから引用いたしましたm(_ _)m

0 件のコメント:

コメントを投稿