一日目・・呉市・・「大和ミュージアム」「てつのくじら館」です
二日目・・世界遺産・・宮島、厳島神社・・
今回は、いつもより、写真掲載が多くなることと、道路状況、新観光名所?、ホテルでの出来事など・・大盛りのため、その場所毎で、備忘録としていきます・・・・では!
呉市、大和ミュージアムに到着です・・・時計を見るとPM12:30・・・3時間50分・・予定?どうり・・
大和ミュージアムの駐車場に停め(1時間100円・・安いね!)・・ゆめタウン呉・・ショピングモールで腹ごしらえ!
多分、今回、広島市お好み焼き村には行けないので・・このゆめタウン呉・・なんとか、広島焼きを・・・と!
食べました・・そば、ダブルで・・ 感想!・・今一です・・ 残念でしたが、まぁ、記念として・・写真も! 大阪のお好み焼きのほうがうまい! |
昼食を済ませ、・・男二人、やや、興奮気味・・嫁!・・この辺から既に、「えぇえぇ?・・状態」
その時の宿泊先は、宮島内の旅館で。。。ですから、少々急ぎ気味で、見物・・・
今回の宿泊は広島・・時間はたっぷりです・・・
さぁ・・大和ミュージアムへ・・えぇぇ・・凄い人、修学旅行生から一般観光・・平日やで!と、いいながら・・・
通常なら、入館料は500円、今回特別、艦橋展示があり300円追加で800円、勿論・・800円・・・
前回、ゆっくり、資料室も拝見出来なかったので・・全室資料、拝見しました・・・
平凡なおっちゃんは思うのですが・・
戦争があったこそ生まれた、造らなければならなかった・・秀作、「大和」・・そして、武蔵、長門
ただ、戦争の犠牲となり、悲惨な戦艦として見ると、語るものは多く、辛いことです
しかし、その造船、鉄鋼を初めととした各種の科学技術が、当時の日本人技術者の凄さがどんなに素晴らしいものだったのか!
その影に多くの尊い命が・・・両面で、拝見しなければならないと、平凡な、おっちゃんは思っております!
大和ひろば・・
入口から入った瞬間・・全長26.3m 10分の1の戦艦「大和」がいます・・
資料によると、可能な限り、詳細に再現・・・平和の大切さと、科学技術のすばらしさを後世に語り継ぐいでいます
戦艦大和の説明は不要と思うので、写真を・・・・
写真撮影はOKなのですが、フラッシュ禁止なんで・・・前部からの写真が暗い・・のです
写真大きさバラバラですが、リサイズすると 変形するから・・ご容赦・・ |
大型資料展示室・・・
零式艦上戦闘機62型・・
ここには、先日、備忘録で紹介しましたが・・零式艦上戦闘機62型の勇姿を・・・
この零戦は、1978年(昭和53年)に琵琶湖から引き揚げられたもの
愛知県明治基地、第210海軍航空隊の所属で、1945年(昭和20年)8月6日夕刻、吾妻常夫中尉の操縦で飛行中にエンジントラブルを起こし琵琶湖に不時着したと言うもの。
説明ボードによれば中島飛行機で製造された機体で製造番号は82729となっている
いや、何度見ても、かっこいい、機体・・日本人の美感覚が・・ですね!
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写真:左下、コクピット内計器が・・ 右下、先日記しました、飛行神社の引き 上げられたエンジンと姿、同じです このエンジン・・栄・・中島飛行機・・ スバルの前身?と・・プレオ君と関係! ちょっと、無理があるかなぁ!! |
特攻兵器、人間魚雷回天・・・
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案されたものです。 平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。 全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名 |
九三式魚雷・・・・
それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いていました この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけでした |
特殊潜行艇「海龍」・・
「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦です。 先端部には600Kgの火薬を装着しています 全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名 |
特別企画展 巨大戦艦大和展
昭和12年8月21日、大艦巨砲主義の象徴である戦艦「大和」の建造命令は下されました。 本特別企画展は、「戦艦「大和」が何故計画されたのか?建造にはどのような当時の科学技術が結集されたのか? さらに現代の私たちへ残されたメッセージとは何か?」を、 様々な視点で読み解くための開催です |
以上、大和ミュージアム、HP,資料を一部引用しました
戦艦大和・・今は、宇宙戦艦ヤマトにもなり、地球を救う立役者・・
全て、戦争の為の道具として見ると・・辛くなります・・亡くなられた多くの方がおられることも・・
特攻・・馬鹿なことを!で、片付けられませんが、私の父も特攻・・飛び立つ一日前に終戦!!
大和、零戦など・・様々な開発にて、今のあらゆる機器にその技術が活かされていますから・・
大和、零戦・・・日本の何かしら、あこがれ?、象徴?みたいなもんなんでしょね
中学生時代から、プラモデルではなく、木板での大和を造った思い出があります
勿論、木板を削り、機銃などパーツが金属製が売っており、小遣いを貯めて、少しずつ作り上げ、塗装して完成させました
電池で、煙突から煙りを出す装置もあり、・・よき、思い出となっているのです!
ゼロ戦は、プラモデルで・・何機も造りましたが、今は何処にもありません
又、売店で、模型が・・・それを見て、制作が再燃するかもの声に・・・「嫁・・えぇ??」と、・・・お叱りが・・困ったね!
はい、では・・「てつのくじら館」へ・・・続きます
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